自衛隊警務官(22)─陸軍憲兵から自衛隊警務官に(22) 国際法上の非難はなきや

荒木肇さんの最新刊

日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想

「きわめて人間臭い、戦場の実相の一部が目の当たりに浮かぶような気がしました」(元自衛官)
「兵器装備というのは、予想戦場、兵士の知的水準、兵站補給、技術工業水準、その他もろもろの要素が絡み合って開発される・・・といった常識がとてもよく理解できました」(経済人)
日本の技術者はどんな兵器を開発し、兵士たちはどんな訓練を受け、戦ったのか?
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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はじめに

 

 本来なら楽しいGW。みなさま自粛に協力されて、静かな毎日を送られていたのではありませんか。わたしも1日に1時間ほどの散歩をくり返すばかりです。

 

 嫌な言葉を聞きました。「自粛警察」です。他人の至らないところを指摘して、強い口調で咎め、あるいは紙に脅迫まがいの文字を書き、それを貼り付ける。そうした行為は、むしろ心弱い人のすることではないか、そう思います。

 

 同じようなことですが、文句しか言わないテレビのコメンテーターたち、多くの視聴者の代弁をしているつもりでしょう。ああすればいい、こうすれば良かった、中にはこう言っておいたのにとか、当事者でなければ誰でも言える「後出しジャンケン」です。さらにはPCR検査に関しての実態を知らせないでの非難報道。がっかりします。

 

 それにしても学年9月始まり。あっという間に終息しました。都知事も、大阪府知事も県知事たちも何も言わなくなりました。何かの黙契、密約があったのでしょうか。

 

 語弊がありますが、そんな制度いじりよりも関心が高い話があります。公立学校現場を知るわたしとしては、学校給食や学校使用教材の関係者の皆さんの暮らしに思いがいたります。給食の現場は、さほど大きくない業者さんが物資を納入し、派遣社員と思われる調理員さん方が働いています。

 

小学校なら大きいところでは供給量は1日に600食から1000食に及びます。働く方々も民間委託なら正社員は1人、その下にパートの方々が5人・・・。また、1つの単価が200円、せいぜい300円といった教材を納入されている会社もあります。利潤の幅は小さいのに、営業の方は電話一本で駆けつけてくれるのです。

 

こうした方々への支援も忘れないでと望みます。

 

 

「今夜中に沈めてよいか」

 

 1904(明治37)年2月7日のことである。夜明けの前に山本海相は一通の電文に驚かされた。仁川に碇泊中の巡洋艦千代田艦長からの至急電である。発信は午前0時20発だった。

 

「我、露艦に先んじて戦闘行動を為さざれば危険なり。今夜中に轟沈せんことを試み宜しきや」

 

 千代田は「3等巡洋艦」に分類された14センチアームストロング速射砲10門を備えた1891(明治24)年に就役した英国製である。喫水線周辺に装甲帯があったので、装甲巡洋艦と誤解されることもあるが、むしろ快速(19ノット)の軽快な巡洋艦だった。

 

 千代田はすでに前年の12月18日以来、仁川に碇泊中である。同じ港内にはロシア巡洋艦「ワリヤーグ」、砲艦「コレーツ」、ロシア商船の「スンガリー」と英国巡洋艦「タルボット」、フランス巡洋艦「パスカル」、イタリア巡洋艦「エルバ」、アメリカ砲艦「ウィックスバーグ」と韓国砲艦「揚武」がそれぞれに錨をおろしていた。まさに列国の関心の的でもあった。

 

 砲艦コレーツは1月末以来、千代田の東300メートルに位置を占め、ワリヤーグは南西にいた。真横と斜め左に位置されては、雷撃と砲撃を受けるおそれが十分にある。

 

 村上艦長は警戒態勢をとった。2月3日には千代田は南に動き、ワリヤーグとの間に英国巡洋艦タルボットを置くようにした。

 

 しかし、事態は切迫しつつある。「先制攻撃」を許してほしいという村上艦長に返電がもたらされたのは午前1時である。発信者は山本海相自身だった。

 

「仁川港内にありては、各国軍艦碇泊しあるを以て、露国軍艦に向ひ我より敵対行為をなすは国際上穏か(おだやか)ならざるに付、之を為すべからず」(原文の表記を改めた)

 

 つまり、列国注視のまとにあるから、決してこちらから撃つなということである。

 

ロシア艦長は気付いた

 

 巡洋艦ワリヤーグ艦長は知っていた。7日に英・仏・伊の艦長たちから「日露が国交を断絶したらしい」との知らせを受けていたのである。すぐに京城にいたロシア駐韓公使に事実関係を教えてほしいと電報を打った。公使の返事は、私人による伝聞にしか過ぎないと答えている。

 

 艦長は続いて旅順の極東総督のもとの海軍参謀長ウィトゲフト少将に国交断絶のうわさがあることを告げて、千代田が出港準備をしていることも知らせた。しかし、返電は来なかった。そこで艦長は上陸し、汽車に乗り京城に向かった。公使に面談するつもりだった。

 

 公使に会うと、「この1週間、本国からも旅順からも電報が一通も届かない」という。おそらくそれは日本人が故意に電報を届けていないのだと艦長は判断した。砲艦コレーツを旅順に派遣することを決心した。ただちに帰艦すると、砲艦艦長に翌朝旅順に向かうことを命じた。

 

旅順の2月7日

 

 日本人居留民の引き揚げが明日には始まる。旅順には多くの日本人商人が店をもっていた。アレクセーエフ総督はすでにラムスドルフ外相からの電報で、国交断絶の事実を知っていたのである。しかもきわめて楽観的な判断のもとであった。外相は依然として話し合いが続くと希望的観測を行ない、総督もまた軍事的に圧倒的に優越するという自信のもとに戦争が起きるなどと少しも考えていなかった。

 

 むしろ偶発的な戦闘が起き、それが拡大することを恐れた。総督は太平洋艦隊司令長官スタルク中将にも、「韓国沿岸に我が艦隊を派遣するな」「大警戒をするのは不要」と指示した。

 

 スタルク中将は、戦艦の舷側に張ってあった「防雷網」を外させて、これまで実行してきた艦船部隊の「午後8時以降の外出禁止」も解除した。こうしたロシア側の配慮に対して、日本聯合艦隊は粛々と、黙々と接近を続けていた。

 

 午前5時45分、外務省は在ロシア栗野公使から、前日の午後4時(ロシア首都ペテルブルク時間)に通告文をロシア外相に渡し、10日には当地を退去するという電報を受けた。山本海相は通報を受けるとすぐに小村外相に電話し、これ以後、いつ戦端を開いても国際法上で非難を受けることはないかと質問した。

 

 外相は次のように答えた。ロシア側には「最良と思惟する独立の行動」を取ると通告してある。これは「戦争を含むすべての行動」を意味する。これが国際的諒解事項である、だから何の問題もないと。ただし、「ロシア側の先制攻撃もまた可能であること」を付け加えることも忘れなかった。

 

 次回は仁川での記念すべき戦闘開始を調べよう。

 

 

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和二年(2020年)5月13日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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