自衛隊警務官(17)─陸軍憲兵から自衛隊警務官に(17) 日露戦争の憲兵

荒木肇さんの最新刊

日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想

「きわめて人間臭い、戦場の実相の一部が目の当たりに浮かぶような気がしました」(元自衛官)
「兵器装備というのは、予想戦場、兵士の知的水準、兵站補給、技術工業水準、その他もろもろの要素が絡み合って開発される・・・といった常識がとてもよく理解できました」(経済人)
日本の技術者はどんな兵器を開発し、兵士たちはどんな訓練を受け、戦ったのか?
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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はじめに

 

 いよいよ「緊急事態宣言」が出されるかどうかという状況になりました。わたしの友人によると、あくまでも私見だが、流行拡大のピークは5月中旬ではないかと。そうであると、国民みんなが長期戦に備える覚悟が必要でしょう。

 

 一応の落ち着きが秋ごろと考えると、何より心配なのは「金の回り」です。とにかく飲食関係、旅行業界関係などは「不急不要」とされて大打撃でしょう。

 

 ネット関連で興味深い投稿がありました。今回のマスク配布に直接関わった中央省庁の官僚の方の発言です。「たったマスク2枚」の配布と揶揄されたり、悪意のある攻撃にさらされたりした方々からのメッセージと、わたしは深刻に受け止めました。

 

 何より心配なのは「医療崩壊」です。ふつうの病気の治療は後回しになります。設備のことだけではありません。医療に従事する方々の罹患、あるいは体調を崩されることが心配です。友人の医師は、病院でのマスクの不足を言っています。

 

 洗って使える、何度も使える布マスク2枚、それを笑った人たちもいます。こういう時期には、「流言飛語」が飛び交うものです。為政者のすることを揶揄したり、悪意をもって評価したりすることは、必ずあります。問題はそれで国民が政権に不信感をもち、国民が階層ごとに分断されることです。

 

 施策には必ず理由があります。後出しじゃんけんで、その結果をもって論じて必ず優位に立とうとする者がいるのです。あるいは施策の理由についての背景や事情を知らないままに、気安く他人を批判する。そうした社会の不安定を求める。これは「思想戦」をしかけてくる「悪意ある敵」の常とう手段です。

 

 わたしたちは1人ずつが、いつ自分が加害者になるか分からないという恐れに正面から立ち向かっていかねばなりません。

 

 最後に申し上げます。自営業者の方々や、小さなお店を開かれている方々に、適正な補償、援助がされることを祈っています。

 

 

日露戦争の規模

 

 日露戦争(1904〜5年)がいかに大きな戦争だったか・・・数字でそれを想像できる。10年前の日清戦争(1894〜5年)の動員された兵力は約24万人、うち死者が約1万3300人、そのうちの病死者は約1万2000人だった。

 

 日露戦争は、動員された戦地服務者軍人約95万人、軍属約5万4000人の合計約100万人。内地の服務者軍人約14万人、軍属約10万人で、戦地・内地の合計が約124万人にも及んだ。日清戦争と比べればおおよそ5倍ということになる。

 

 戦死・戦傷死者の合計は約6万人、病死者は2万4000人で合計は約8万4000人にのぼった。これは約6倍にもなっている。また傷痍疾病による兵役免除は約2万9000人という数字が残っている。これは戦闘不能となって事後の兵役を免除された者で、回復して軍隊に復帰した者は含まれていない。(日露戦争統計集・陸軍省編による)

 

 日本人の捕虜の総計は陸軍1602人、海軍24人、船員その他462人の合計2088人である。対してロシア軍は陸軍6万3243人、海軍1万6211人の合計7万9454人だった。

 

日露戦争の憲兵

 

 日清戦争後には憲兵の組織、人員ともに、整備され拡充された。条約の結果、正式にわが国の領土となった台湾には、行政権と軍事権をもつ「台湾総督」がおかれた。この総督(現役将官)のもとには、憲兵隊があった。1898(明治31)年には2800人になっていた。現地住民の宣撫活動、治安維持などはとても文官である警察官には十分に担当することはできなかったからである。

 

 朝鮮には1896(明治29)年、条約によって敷設権を得た京城(ソウル)と釜山(プサン)の間の軍用電信線保護のため「臨時憲兵隊」が置かれた。そうして1903(明治36)年には韓国駐箚軍(ちゅうさつぐん)司令官の隷下に「韓国駐箚憲兵隊」として発展した。

 

 また1901(明治34)年には、前年の「北清事変(中国人が「扶清滅洋」を叫んで立ち上がり、清朝政府もこれを応援した暴動)」の結果、駐兵権を得た駐屯軍の中に「清国駐屯憲兵隊」が開かれていた。

 

 日清戦争で、予備・後備の憲兵がいなかったという欠陥が明らかになった。その対策はすぐに講じられ、1896(明治29)年には「陸軍補充条例」が改定され、憲兵上等兵・下士の現役は前に所属した兵科を通じて6年間の現役に服務し、以後、予備役・後備役に編入されることになった。

 

 日露戦争に動員された憲兵科の人員は、大江志乃夫氏の研究によれば、憲兵将校は241人、これは開戦時の2.7倍になった。階級別では少尉の64人が最も多く、開戦時の21.3倍にもおよぶ。つまり、野戦隊、内地部隊も含めて、小部隊の責任者が必要になったことが分かる。

 

 憲兵准士官、同下士、同兵の開戦時総数は、それぞれ、27人、401人、1149人の合計1577人だった。それが戦役参加数を見れば、それぞれ129人、1632人、2519人の合計4280人になった。約2.7倍であるから、将校の増えた倍率とまったく同じだった。したがって、将校241人と1577人を合計した1818人が憲兵科の総人員である。

 

 戦時での兵科、各部の数字の一部も概数だがあげておこう。歩兵は将校1万2000人と准士官以下58万2000人と「軍の主兵」たる面目躍如たるものがある。輜重兵は将校645人と准士官以下約1万3600人だから合計で約1万4000人余りになる。ただし、この他に輜重輸卒約26万5000人がいる。

 

 戦時に動員された憲兵の総人員は、将校241人、准士官・下士・兵の合計はそれぞれ、129人、1632人、2519人の合計4521人である。

 

 戦地、内地を含めて将校が約1万8000人、准士官下士卒・雑卒が106万3000人の中から見れば、合計が4521人の憲兵は少なかった。割合では0.42%にしかならなかった。

 

 次回は捕虜問題などを紹介しよう。

 

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和二年(2020年)4月8日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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