陸軍小火器史(53) 番外編(25)─反響のご紹介と挨拶

荒木肇さんの最新刊

日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想

「きわめて人間臭い、戦場の実相の一部が目の当たりに浮かぶような気がしました」(元自衛官)
「兵器装備というのは、予想戦場、兵士の知的水準、兵站補給、技術工業水準、その他もろもろの要素が絡み合って開発される・・・といった常識がとてもよく理解できました」(経済人)
日本の技術者はどんな兵器を開発し、兵士たちはどんな訓練を受け、戦ったのか?
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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実証の重視

 

『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』、11月7日の発売以来、たくさんのご感想や、ご意見、ご教示をいただいています。ありがとうございます。

 

今日も、多くの方々のお便りを紹介させていただき、わたしの話を付け加えさせていただきます。ある経済人の方からのお便りです。
「兵器装備というのは、予想戦場、兵士の知的水準、兵站補給、技術工業水準、その他もろもろの要素が絡み合って開発される・・・といった常識がとてもよく理解できました」

 

また、ある元自衛官の方からは、「きわめて人間臭い、戦場の実相の一部が目の当たりに浮かぶような気がしました」というお便りもいただきました。

 

そうですね。わたしは少し正統からは外れた、歴史についての追究者です。だから、ずいぶん細かいことばかり考えてしまいます。それだけに、いわゆる歴史学者といわれる方々とは一線を画して、記述の方向が違っているのでしょう。学部の学生であった若い頃、日本中世史の授業であるレポートを書きました。

 

武士の主要武器は何かというタイトルをつけたのです。それは、昔から徳川家康のことを「海道一の弓取り」といったり、武士の家柄を「弓箭(きゅうせん・ゆみや)の家」といったりしてきました。「鑓一筋(やりひとすじ)の家」と書いたり、「弓馬の腕」と表現したりもしますが、少しも「刀執る身」とか「太刀一腰の家」などと言わないことが気になったからです。

 

ああ、そういえば、高校生の頃です。みんなで木刀を振り回して遊んでいたら、ある先生から指導を受けました。「木刀というのは、剣道をやっている人にとっては刀と同じもので、武士の魂ともされたものだ。それを遊びに使うとは」。それを聞いたときに、剣道2段だったわたしは、「この先生は本気でそんなこと考えているのかな?」と不思議でした。生意気な子供だったのですね(笑)

 

そこで学生時代に調べたのです。日本中世の戦場では、どんな武器で人は殺傷されたのか。材料は主に国文学の古典、軍記物語でした。そうすると、武士の主兵器は弓であり、多くの有名な武将は弓で射殺されていたことが分かりました。もちろん、そうした伝統的な戦闘(騎射戦闘)が苦手で、馬上の組打ちから太刀による殴り合いをした武士もいますが、源為朝(みなもとの・ためとも)をはじめとして強弓(ごうきゅう)を引く人が何より勇者でした。

 

そうしたことを考察して、先生に提出したところ、「こんなくだらぬことはどうでもいいのだ。当時の戦争の実相を考えた? どうでもいいことを調べている。中世武士のことを考察するなら、荘園制と武士団の役割のようなことを書け」と酷評を受けました。いまは亡くなりましたが、高名な唯物史観のスターの学者でした。

 

こうした歴史学のプロパーは今もそうした気風を残しているように思えます。大きな流れを重視して、「細かいこと」や「人間臭い」ことにはあまり目が向かないようです。教科書会社は建前では文科省による検定制度には嫌な顔をしています。それが検定官にいわせれば、「検定があるおかげで、無料の校正と校閲が受けられるのだから、助かっていることでしょう」

 

それがほんとうのところです。大きな史料集でもそういうことはありました。大学院に進んだ頃のことでした。岩波書店の『近代日本総合年表(1979年)』を見ていた時です。1944(昭和19)年2月のエニウェトク環礁の玉砕戦が書かれていません。アッツ島の激戦と守備隊の玉砕1943(昭和18)年5月はありますし、同年11月のマキン・タラワの戦闘、クェゼリン・ルオットの玉砕(44年2月)があるのに、4000人が亡くなったエニウェトク環礁の戦いは抜けているのです。

 

また、その時代(1970年代)の特徴でもありましょう。激しい抗日戦の中での中国軍の行なった残虐事件、「通州事件」(1937年7月)が掲載されていませんでした。問題意識の欠如としか思えません。また、仏領インドシナの武力接収(1945年3月)もない。これもやはり、うかつとしか言えない掲載漏れでしょう。聞き書きをしたことがあるのです。そこでも多くの日本兵が亡くなっています。

 

学徒兵あがりで歩兵小隊長だった人の話でした。初陣で軍刀を抜いて前進を命令し、その後も右手に刀を提げたまま走っていたら、「刀を納めろ!刀を納めろ!」と横を追い越していった中隊長から怒鳴られたという印象的な内容です。刀を振り回したり、振り上げたりして走ったら、味方ばかりか自分も傷つけることになるから・・・ということでしょう。それがインドシナ(ベトナム)のフランス軍のドンダン兵営を攻撃するときの話でした。

 

兵士の知的水準

 

 建軍初期の頃、徴兵で入営した人たちも、あるいは「壮兵」といわれた旧藩軍の将兵も西欧式の物や考え方には、およそ縁遠かったといえます。よく江戸時代の識字率は列国と比べても異常なほど高かったといわれます。たしかに、そういう一面は事実ですが、よく村の辻などに掲げられたお達しを読めた人は数パーセントもいなかったことでしょう。日常の暮らしの中での算数や国語のレベルの高さと、技術に関わったり、西欧風の道具に親しめたりするのはまた、別の能力でした。

 

『日本軍はこんな兵器で戦った』でも書きましたが、ネジというものが身近にない時代、意訳した「螺子(らし)」という新しい言葉で新しい名称を付けなければならなかったのです。螺子を回すドライバーは「転螺器(てんらき)」、コイル・スプリングは「弦巻発条(つるまきはつじょう)」です。ほかにも軍事用語に関する興味深い話はいくつもあります。「一軒家」というのを「独立家屋」といいました。「あの杉の木から指3本右」などという指示、「敵らしきもの接近しつつあり」などという外国語の直訳のような言葉遣いなどです。

 

 戊辰戦争の幕府陸軍では、時間については24時制を使っていました。外国製の小銃や大砲を使い、戦術もまた輸入したとなると、組織の仕組みも教育も、指揮法もすべて西欧式にしなければならなかったのです。午後8時30分は、「二〇三○」と書き、「にじゅうじさんじっぷん」と読んだのです。それは大変なことでした。

 

幕府時代には、明け六つ(あけむつ)とは太陽が昇る時をいい、暮れ六つ(くれむつ)とは日没を指しました。よく時代小説に、「夏になったから六つでもまだ明るい」などという記述を見ましたが、あり得ないことです。夏と冬は「一刻(いっこく)」はおよそ2時間であり、ぴったり2時間ではなかったのでした。夏の日照時間が14時間ならそれを6等分し、昼の一刻としました。冬の日照時間が10時間なら、それも6等分していたのです。

 

角度もたいへんでした。それまでは時刻と同じく12支を元にして、北を子(ね)、順に丑、寅、卯・・・としていました。南は午(うま)にあたり、地球儀の縦線(経線)を「子午線(しごせん)」としたのもそこからです。一周を360度としました。距離の測定や、砲の調整にも苦労したのです。

 

全国の津々浦々、農山村にあまねく造られた学校では、近代的な知識と訓練を子供たちに与えました。体育の時間にも、普通体操や兵式体操(へいしきたいそう)といわれた団体行動訓練がありました。師範学校を出た正規訓導(くんどう)は全寮制生活を経験し、短い入営期間(時代によって差がありました)の後には、国民兵役の伍長になりました。全寮制の中では、銃をとり、山野を駆ける軍事訓練も受けていたからです。

 

明治の中ごろ、運動会が盛んに行なわれ、そこで親たちはびっくりしました。自分の家の子供たちが号令で行進したり、右に左に歩いたりしたからです。そういう習慣は、近代学校教育を受けないと身に付きません。また、手を振りながら「走る」「跳ぶ」「気を付け」なども訓練されないとできない動作です。入営した兵士たちのほとんどが、すでに小学校でそうした訓練を受けていればこそ、陸海軍では兵士としての訓練を容易に施すことができました。

 

いつだったか、米軍の資料を読んでいたときでした。「日本軍の将校は、そのほとんどが英語を読み書きできる」と少し驚いた様子で書いてありました。よく、米軍は日本語を研究し、専門の士官をいっぱい育てた。敵を知るための当然の方法だった、それに比べて日本軍は・・・という非難した言い方が聞かれてきました。

 

しかし、敵の使う言葉を知っている割合でいえば、日本軍のそれは、米軍の一般士官が日本語を知っている率と比べればはるかに高かったことでしょう。日本陸軍の士官の大部分を占めた予備役士官は、少なくとも中等学校を出ています。高等学校や大学、あるいは高等専門学校(いまの大卒よりはるかにエリート性は高い)を出ているのも普通です。現役将校でも中学を出て士官学校へ入った人は、最低4年間は英語の学習をしていました。

 

昭和の初めの兵士たちの学校歴を調べてみましょう。これは1931(昭和6)年度の「壮丁教育調査概況」の数字です。この年の壮丁の全国総数は約62万人でした。そのうちの16.6%の人が中等学校在学以上の経歴でした。10万人以上が英語に接していたということです。それに対して、アメリカの兵士たちのどれくらいが日本語を聞いたことや読んだことがあったでしょうか。

 

たしかにごくごく少数の日本語専攻語学将校がいたことは事実です。そして、日系の将校や下士官がいたことも確かです。しかし、一般兵士のいわゆる普通教育を受けたレベルでは、わが国の方が欧米列国のそれより高かったことは疑いありません。

 

また、この時期になると、不就学者や義務教育未修了者はわずか5.5%しかおりません。義務教育である6年制の尋常科の卒業生はわずか19%あまりで、高等科(2年制)の中退、卒業者は合計で55%にも達していました。そうして、その後の実業補習学校の全期卒業生(夜学・5年制)も18%にもなります。つまり、ふつうの兵士の半分以上は義務教育以上を受けていて、5人に1人は高等科も出て、そのうえ、教育を受けた者でした。

 

皆さまの温かい声援をありがたく受け止めていただいています。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和元年(2019年)11月13日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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