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荒木肇さんの最新刊 自衛隊警務隊逮捕術 …警務隊長は語る。「我々警務官は平素の暮らしの中で規律違反や、犯罪への対応をしているが、今やその平素が有事に近い。…相手にする犯罪者、犯行形態は多様である。そうした事態に立ち向かえる意欲と能力を持った人材がこれからますます必要になる」〈本文より〉 |
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ご挨拶
大きな地震がありました。山形県、新潟県、周辺の建の皆様には被害に遭われませんでしたでしょうか。たいへん驚き、心配もしております。マグニチュードも7近い数値でした。今後も警戒を緩めることはできません。同時に、他の地方、地域でも油断ができないと思います。
YHさま、いつも興味深いお便りをありがとうございます。ソ連軍のことや遊牧民族の靴のことなど、いろいろ考えさせられました。陸上自衛隊の、昔は茶色の堅い編上靴のこと、軟らかくするには煮た話などを思い出しました。
足が冷えれば、人は容易に腹をこわします。下痢をすれば激しく体力を奪われてしまう、山行きの中で、そうした経験ももっております。現在の陸自も、詳しくは聞いておりませんが、装備品は多くが需品科の職掌で、優れた人材が研究し、企業とタイアップして改良を重ねているようです。黒い、ベルクロを使った新しい靴を使っています。今度、詳しく聞いてみようと思いました。
乗馬の配当(はいとう)
資料館には、銀色にメッキされた拍車(はくしゃ)が残されていることがある。靴のかかとに合う半楕円形の形で、後部の突起には丸い「車」とはよくいったもので、クルクル回る輪がついている。外側はトゲトゲのようになっている。だから歯車のように見える。馬の専門家から聞くと、馬の胴体は痛みに鈍感だそうだ。「それっ!」などと声をかけて両かかとで馬腹を蹴るなどというが、馬にしてみればよい刺激で、「ハイヨ!」と答えるという感じだろうか。
これを長靴のかかとに付けたのは「乗馬本分」者と、「乗馬本分ではないけれど臨時に馬に乗ることができた者」だった。より正確にいえば、乗馬本分者は馬に乗らないときでも付けることができ、臨時の者は乗馬時のみ付けることができた。先日も、ある軍事研究家が「憲兵は乗馬本分だったから長靴に拍車をつけていた」と書いているものを見たが、それは間違い。この本分という言葉はれっきとした法律用語で、将校と各部将校だけに関わる言葉である。憲兵の准士官以下は、仕事内容に応じて乗馬する者であり、乗馬本分ではなかった。
拍車の規定は、『陸軍服装令』にあった。
「第12条 本令に於て乗馬本分と称するは編制上乗馬を有する者及乗馬を有せざる左に掲ぐる者を謂ふ」
「編制上乗馬を有する者」というのが、一般人にとってはむずかしい。陸軍の軍隊(ここでいうのは武装組織で戦力を有する部隊)、学校、機関、官衙には、それぞれ編制表というものがあった。どういう役職があって、その定員は何名、それに就く階級は何かと細かく規定してある。ここには乗馬の数と、誰に配当されるかも書いてある。
工兵聯隊の編制表に見る乗馬
手元にある昭和16(1941)年度の工兵聯隊の編制表を紹介しよう。表の左側についた「備考」によれば、工兵聯隊は中隊3箇(こ)、器材小隊1箇で構成される。人員253名からなる中隊は4箇小隊と1箇器材分隊に区分された。小隊は4箇分隊に区分し、器材分隊は器材と化学戦資材駄馬16頭及び予備馬等よりなっている。
その聯隊本部(人員94名、馬27頭)は大佐、もしくは中佐の聯隊長1名、乗馬1頭とあり、少佐もしくは大尉の副官1名、それに乗馬1頭。大尉もしくは中尉の「兵器掛(へいきがかり)」1名に、これにも乗馬1頭、同じく「瓦斯掛(がすかかり)」の中尉もしくは少尉が1名、これにも乗馬1頭とある。瓦斯掛とは当時の化学戦教育を行なった陸軍習志野学校の課程出身者で、毒ガスを散布されたら除染を担当する将校である。
他には曹長3名の書記、軍曹もしくは伍長の兵器掛、瓦斯掛、通信掛兼無線通信掛、暗号掛の4名の下士官、上等兵以下の兵33名。合計人員44名に乗馬4頭、これに駄馬3頭がついた。これに各部の将校下士官兵がつくが、乗馬の配当があるのは軍医大尉1名、獣医尉官1名(大、中少尉のいずれか)、それに輜重兵下士官1名。輜重上等兵以下25名に乗馬2頭、輓馬19頭ということになる。輜重兵は乗馬の戦闘職だから、本来、馬に乗る立場だった。そうして「馬取扱兵(うまとりあつかいへい)」が6名いた。このように工兵聯隊本部には合計で9頭の乗馬があった。
工兵隊は重い資材をもち、陣地構築など広い地域を行動するので、大尉もしくは中尉の中隊長にはもちろん乗馬がある。4人の中・少尉の小隊長も乗馬本分だった。馬取扱兵も5名がいた。将校たちが自ら馬の世話はできないから、専門の兵がいたわけだ。器材小隊も小隊長は乗馬をもつ。中尉、少尉でも馬に乗れた。
聯隊の総人員は898名だったが乗馬は25頭もいた。他に駄馬や輓馬もいたから全部で119頭の馬といっしょに行動した。
将官と佐官はみな乗馬本分
将官と佐官は兵科を問わず、みな乗馬本分だった。ただし、戦車、気球、飛行機、船艇、もしくは自動車を装備する部隊や、これらの学校に勤務する者は除くとある。だから戦車聯隊長は大佐であっても乗馬本分ではない。乗用車を配当されていた。中佐の飛行戦隊長も同じ。そうして除外規定はまだつづく。兵技・航技(昭和18年には技術部に統一された)、建技(経理部の建築技術関係将校)、薬剤、歯科医、衛生、法務、軍楽将校である。これらの各部将校たちは佐官であっても乗馬本分ではない。
気球隊もめずらしい部隊である。砲兵の弾着観測などに協力する大型繋留気球を装備した。こうした機械化部隊には乗用車があったから、佐官はドライバーつきの車に乗っていた。
次に、陸軍大学校学生と同じく専科学生である兵科の佐官と尉官。原則、尉官は乗馬本分ではないが、学生は将来の参謀候補者であり、連絡などで乗馬することが多かったからだろう。陸大学生の教育課程には「乗馬」という授業があり、その成績も全体の評価に大きく関係したから、騎兵科の学生は有利だったともいう(ただし、他兵科の人の思い出話)。
憲兵隊、工兵隊、鉄道隊、電信隊の兵科尉官も乗馬本分。工兵隊の編制表をみても分かったとおり、尉官であっても乗馬した。陸軍では歩兵隊以外を「特科部隊(とっかぶたい)」というが、砲兵隊、騎兵隊、輜重兵隊は編制上、兵科将校にはみな乗馬がついているので、わざわざ取り上げていない。
憲兵将校はみな乗馬本分、憲兵の准尉や下士官、兵長・上等兵は「任務上、臨時に乗馬する」のだから長靴は履いていても、本分ではなかったのだ。ついでに有名な憲兵腕章は将校は着けないのがふつうだった。両襟に光る旭日の憲兵徽章と右胸の黒い山形でそれと分かった。憲兵は1940(昭和15)年に、歩兵・騎兵・砲兵・工兵・輜重・航空の兵科区分がなくなり、みな一様に「兵科将校」になったが、憲兵だけは残った。
参謀、副官も乗馬本分
参謀の必須技能は乗馬技術。陸軍大学校の学生は、毎日授業で乗馬があった。長靴に拍車を付けて出かけていたそうだ。電車の中で、乗り合わせた職人風の男から「ニワトリの蹴爪(けづめ)みたいの付けやがって、あぶねえじゃねえか」などと怒鳴られたこともある・・・という伝説もある。大正時代の反軍意識、風潮の高まりの中のエピソードとして有名な話だが、どこまでほんとうか分からない。
副官も乗馬本分だった。聯隊副官、大隊副官、師団長副官、旅団長副官、学校長副官などなど、高級指揮官にはみな「副官」がつく。近頃のマスコミなどの解説では、「副指揮官」という誤った解説もあるが、民間でいう「秘書」にあたる。旅団長閣下は騎馬でさっそうと疾駆し、後ろを副官(大尉)が徒歩で走るなどということはない。副官は白、もしくは銀色の飾緒をつけていた。現在の陸自では、アメリカ陸軍の制度をまねて、師団には副師団長、旅団にも、団にも同じで、連隊にも副連隊長がいるから、そこからくる誤解だろう。
師団司令部の平時の編制では、副官部、参謀部、軍医部、経理部、法務部とわかれ、副官部と参謀部を合わせて幕僚(ばくりょう)といった。将軍の帷幕(いばく・むかしは幔幕を張り、のぼりを立てた)にいて勤務するから幕僚である。だから司令部は拍車を付けた人が多かった。ただし、規定を見直してほしい。幕僚の兵科の佐官・尉官は乗馬本分、軍医や主計将校、法務将校は乗馬ではない。
陸軍諸学校の中隊長たちも乗馬本分
陸軍、海軍を問わず、軍隊は教育機関だからやたら学校が多かった。諸学校というが、軍人でない人に教育を施して軍人にする「補充学校」、士官学校、経理学校などがそれにあたる。これに対して、各兵科の教育や研究にあたる「実施学校」、すなわち歩兵学校、騎兵学校、重砲兵学校(いずれも正式には陸軍が冠称につく)などがこれである。もっとも所在地名を冠する学校、習志野学校などもあった。いまの陸上自衛隊も、高射学校、需品学校、武器学校などと同じに、富士学校や小平学校といった地名つきの学校もある。
これらの学校には学生隊、生徒隊、教導隊、幹部候補生隊、下士官候補者隊、練習隊または教習隊などが設けられた。学生や生徒というのは専門教育のための修行をするために入校を命じられた軍人たちである。教導隊は入校した学生、生徒たちの教育支援をする部隊をいう。
陸上自衛隊にも静岡県小山町に富士教導団という部隊がある。富士学校は普通科(歩兵)、特科(砲兵)、機甲科(戦車・偵察)の職種学校であり、普通科教導連隊、機甲教導連隊、特科教導隊などが編制に含まれている。
学校に所属する各隊には中隊長がいる。これらの中隊長もまた乗馬本分である。ここでも中隊長たる兵科尉官とされていて、少佐の中隊長はすでに佐官だから乗馬本分である。大尉が務めることもあるので、尉官が明示されたのだろう。ただし、戦車、気球、飛行機、船艇もしくは自動車を装備する部隊や学校に所属する中隊長は省くとある。
そりゃもっともだ、獣医部将校の乗馬
第5項はわざわざ「獣医部尉官及乗馬部隊に属する各部尉官」は乗馬本分だという。獣医部将校には2通りの区別があった。獣医師免許をもつ獣医将校と下士官からたたきあげて獣医師ではない将校である。これは獣医務(じゅういむ)将校といった。馬の靴にあたる蹄鉄の管理をしたり、実技指導に長けたりした存在だった。衛生部にも、医師免許のある軍医将校と、衛生下士官からたたきあげた衛生将校がいるのと変わらない。
馬を扱うのが本業の獣医部将校が馬に乗らないわけがない。だいたい獣医さんがどれほど陸軍にいたか、これが有名ではない。昭和20年9月、敗戦直後の調査では、現役将校が少尉181人、中尉305人、大尉183人、少佐155人、中佐95人、大佐37人、少将8人、中将4人の合計968人という勢力だった。
これは人間相手の軍医の5721人にはとても及ばないが、人と馬との比率を考えれば、ずいぶん手厚いものだったともいえる。もちろん、実数は召集将校がもっと多くを占めるので、馬に乗った獣医さんは珍しくもない風景だっただろう。
乗馬部隊、騎兵や輜重兵部隊の各部将校も全員が乗馬本分。歩いていたら仕事にならない。騎兵隊の主計将校の手記を読んだことがあるが、水の手配、馬糧の集積、支給などの調整では馬を飛ばして任務を果たしていた。
グルメット(金属製の刀帯)
ついでによく見かける鉤鎖(こうさ・かぎくさり)について説明しておこう。『陸軍服装令』の第21条に、次のような規定があった。
「将校及び准士官は軍装又は略装を為すときに限り刀帯(とうたい)の釣革(つりかわ)に代へ鉤鎖を用いることを得」
この鉤鎖のことをフランス風にグルメットといった。刀帯は前にも記したように、表は黒革で裏が階級によって異なっていた。将官と佐官は紅革もしくは緋色の絨、尉官と准士官は藍色の革もしくは藍色絨。ただし、釣革に代えて鉤鎖を使うときは階級で差がつかずに銀色金属だった。もともとは騎兵将校だけが使っていたが、その耐久性と何より格好良かったからだろう。多くの将校が騎兵でもないのにグルメットで軍刀や指揮刀を吊った。
グルメットの長さは30.3センチ、ちょうど1尺である。釣革は36.4センチで約1尺2寸だった。ジャラジャラいう音がよかったらしい。
この記事については、若い頃、むさぼるように読んだ『偕行』の「軍制よもやま話」によりました。
(以下次号)
(あらき・はじめ)
(令和元年(2019年)6月26日配信)
著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊』『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊警務隊逮捕術』((並木書房)がある。
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- 「日本陸軍の兵站戦のバックナンバー 陸軍小火器史(55) 番外編(27)─「明治から近代の歴史を学んでこなかった」―(2019年(令和元年)11月27日配信)です。