陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(81)自衛隊砲兵史(27) 北方総監の企図
□自民党総裁選終わる
これからの数年のわが国の動きを決めることになるであろう自民党の総裁選が終わりました。いろいろなお考えがあると思いますが、もともと政治については素人のわたしも自分の思いを語らせていただきます。
まず、第一に女性の最高指揮官はちょっとなぁ・・・という気分が自民党員や議員の方々にあったのではないかと感じています。地方の党員票が石破さんに多く、高市さんは大都市の党員に支持者が多かったそうです。これはやはり、地方の保守の方々、とりも直さず地域の指導層の方々には女性指導者は受け入れ難いという実態があるのではありませんか。
次に高市さんが靖国参拝を公言していることも恐れた方々がいるのでしょう。いわゆる親中国や親韓国の方々の存在です。わが国は中国とは経済的に強いつながりがあります。企業の方々にとっては、中国との関係はできるだけうまくやって欲しいという思いがあるはずです。
そういうことでは、石破さんは中国や韓国の受けが良いから、決選投票の結果に胸をなでおろした方々が多かっただろうと感じています。しかし、その方々は気付いているのか、あるいは知っていて目先だけを見ているのかと心配になってきます。というのは、総選挙になると、いわゆる浮動票が動きます。
勝手な予想をしますが、自民党は議席を減らすでしょう。でも、一部の人が期待しているような「もう一度、民主党政治に期待してみよう」、「新しい立憲民主党に任せてみよう」というような事態にはなりません。特定の政党を支持しない浮動票は、もっと厳しい動きを見せるでしょう。わたしの周りでも、党員ではありませんが、「もう自民党には投票しない」という人が多いです。だからといって立民に投票するか、これも疑問でしょう。
選挙の顔が高市では勝てない、でも石破なら勝てるというのが議員の方々の思いだったのですね。また、新しい選対委員長が小泉氏とは・・・、選挙に敗れたら彼のせいにするという石破氏らしいやり方が透けて見えるのは私だけでしょうか。小泉氏を支持した方々はしばらく冷や飯食いです。政治の世界は厳しいです。ただ、菅元総理は怪しい動きをしていましたが。
▼戦争指導はどうするか?
防衛出動命令が出たら作戦部隊指揮官は北部方面総監になります。では、大所高所から見た戦争指導は誰がするのでしょうか。やはり英国のように戦時内閣をつくり、統合幕僚会議議長(制服)もメンバーに入れて政府の戦争指導方針を決定し、北方総監をコントロールするということになります。
元来、専守防衛というのは国土を戦場にするということです。憲法9条に書かれていることを素直に読めば、もし敵の武力侵攻があったら「他国の善意を信じてきたことを後悔しながら座して死ね」ということになります。そうさせないために政治があるわけですが、侵攻するかどうかは相手の腹の中にあることです。
侵攻意思の抑止に努めるのが政治家の役割ですが、その方法は多様でしょう。武装組織を持つこと、その装備・訓練・教育を優良にすることも選ぶべき方法です。しかし、今回の仮想戦記が描いているのは、その抑止力を有効にできなかった政府の失態の結果となります。
▼北方総監の作戦目的と具体的目標
「侵攻した極東ソ連軍の国土外への撃退」、これが北方総監の示した作戦目的です。具体的な目標は、第1期・侵攻部隊の阻止、第2期・戦力の集中、第3期・決戦態勢の確立、第4期・最終決戦により侵攻部隊を撃滅、というように時期区分がされます。
第1期、侵攻したソ連軍を阻止するには、第2師団を崩壊させてはならないのです。7師団の一部、第11戦闘団や名寄の高射特科群を2師団に配属していますが、加えて特科団の30型ロケット大隊(千歳、美唄)・上富良野の重砲大隊・北恵庭の1~2個戦車群を
現地に到着後に直ちに戦闘加入させるようにします。
戦力の逐次投入は悪手とされますが、奇襲に等しい敵軍との戦闘です。いわゆる「不期遭遇戦」ですからそれも仕方のないことです。11師団の1個普通科連隊(滝川)の投入も準備します。第2師団には10日間程度頑張ってもらうことになり、空自の戦闘機部隊の掩護も必須です。
第2期は戦力の集中を行ないます。第7師団と戦車団がすぐに動かせる部隊です。九州の第8師団と、静岡県の富士教導団が戦場に向かい、名古屋の第10師団、山形の第6師団がその準備中でした。こうした行動を当時は「北転」(ほくてん)と言いました。また、富士教導団は富士学校の教育研究支援部隊です。普通科教導連隊、特科教導隊、戦車教導隊、教育支援施設大隊などをもつ、いわゆるコンバイン・ブリゲードという旅団規模の戦力が高い部隊でした。
第2師団には少なくとも中川・天北峠・咲来峠を確保させ、この間に出来る限りの戦力を集中させなければなりません。この戦力の集中は、とても大きな輸送作戦であり、当時の国鉄、私鉄、民間輸送業者の全面的な協力が必要不可欠でした。これがほんとうの戦争と、頭の中だけの戦略ゲームなどとの違いです。
第3期は第7師団と戦車団の一部で、オホーツク海正面(天北峠・咲来峠)から突出して鬼志別(おにしべつ)演習場付近を奪回します。同演習場は宗谷地区最北端にあり、猿払(さるふつ)村にあります。朝鮮戦争時のスレッジ&ハンマー作戦を参考にして、幌別付近で侵攻部隊を阻止し拘束(スレッジ)し、オホーツク海正面に突進する部隊をハンマーにたとえたものです。
第4期は、スレッジ&ハンマー作戦が完成した後に、北転した師団等の総力を挙げて最終決戦を行ない、国土を完全に回復します。ただし、侵攻したソ連軍が、無条件で国外に撤退することに同意すれば、最終決戦を行なわない場合もあり得ます。中途半端な政治的な妥協を拒み、あくまでも国土・主権の完全な回復を目指します。
このように説明を受けると、いかに陸自が信頼に足る組織であるかが分かります。同時に、素人や部外者がなかなか想像も出来ないものが作戦であり、軍隊の行動が理解できませんか。
▼兵力の控置と兵站基盤
さて、道北地区だけを見ていれば良いのでしょうか。他にソ連軍が侵攻をしそうなところは、石狩湾あるいは道東計根別(けねべつ)地区でした。石狩湾は小樽を始めとして石狩川沿いに発達した北海道の中心地区に近いのです。また、道東計根別地区は中標津町や別海町付近になります。
そこで札幌に司令部を置く第11師団を道央地区に、第5師団を矢臼別演習場に予備として控置しなくてはなりません。また物資の供給には北海道地区補給処(島松)に兵站司令部を置いて、第一線部隊の支援、内地からの増援部隊の受け入れ、部隊・補給品等の輸送等を一元的に統制することになります。
そうして次回は、いよいよソ連軍が枝幸(宗谷支庁の南東端・えさし)港に侵攻します。
(つづく)
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。自衛隊家族会副会長。著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか-安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『東日本大震災と自衛隊—自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器で戦った』『自衛隊警務隊逮捕術』(並木書房)がある。