陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(65)自衛隊砲兵史(11) ドクトリンとコンセプト

▼知られていない「軍事の常識」

 陸上自衛隊砲兵は、ただいま大きな改革の中にあります。砲身砲は削減され、部隊は次々と改編されているところです。203ミリ自走砲やMLRS(多連装ロケットシステム)は廃止され、地対艦ミサイルが重視され、スタンドオフ(敵の射程外から撃つ)能力を高める、さらにはレールガン(電気エネルギーを使う)、高速滑空弾などの開発も進んでいます。

 そうした動向に詳しい方や、関心を持たれる方も多くなりました。一般の方々の間に軍事技術に関心が高まることはたいへん嬉しいことです。しかし、ときに不安を持つこともあります。カタログデータだけをご覧になって、性能の比較、費用対効果のことばかりが話題になることが多いように見えるからです。

なぜ、自衛隊はあんな物を使うのだ、こうすればもっといいのに、そんなことも防衛省・自衛官には分からないのか、などと評論家が言われることが多いと思います。それがまた組織や人材育成についての批判が絡められることも多いようです。

なんとなく「ああ、自衛隊の装備はだめだな」とか「訓練も無意味なことをしているな」、「日本型組織がダメなんだよ」などという表面的な理解に基づいた誤解も広まってしまいます。自衛隊のような武装組織について誰もが自由に批判や評論できることは大切ですが、案外、知られていない「軍事についての常識」があります。

それは「ドクトリン」と「コンセプト」です。ドクトリンは「綱領」とも訳されますが、要は「どのようなところで、どんな戦いをするのか」ということになります。

▼アメリカ陸軍の「エアランド・バトル・ドクトリン」

 わたしは、世代的には「エアランド・バトル・ドクトリン」に衝撃を受けたものです。これは1980年代に、将来を予想し立てられたものでした。ことの起こりは1973(昭和48)年の第4中東戦争の戦訓です。エジプトがシナイ半島に、シリアはゴラン高原に奇襲をかけて、イスラエル軍が壊滅的な被害を受けました。アラブ連合軍の陸・空統合作戦の勝利でした。

 この当時、米陸軍はベトナム戦争での戦訓から手にした「反乱鎮圧」を主眼としたドクトリンを捨てました。予想される戦場、中部欧州の平原での大規模作戦を考えるようになったのです。研究が重ねられ、陸・空戦力の統合と、機動戦、縦深戦闘を組み合わせたエアランド・バトル・ドクトリン(1982年)の成立でした。1991(平成3)年の湾岸戦争でもそれは「デザート・ストーム(砂漠の嵐)」作戦で適用され、見事な成果を収めました。「100時間戦争」とまで語られた、その戦争での両勢力の格差は衝撃的でした。

 MLRSによるロケット弾の猛射、戦闘ヘリによる機関砲掃射、地対空ミサイルの戦果などが報道され、アメリカ軍の圧倒的な強さには驚かされました。当時は陸上自衛隊も似たような装備をもち、なるほど対ソ連戦はこんな風になると予想していたのかと目を見張った覚えがあります。

▼現在のアメリカ軍のドクトリン

 2022(令和4)年にアメリカ軍はMDOドクトリンを確立しました。「作戦術の導入」、「戦場フレームワークの拡大」、「指揮の分権化(ミッション・コマンドの前身)」、「戦闘力の組織化」などの考え方です。戦場フレームワークというのも素人には難しい言葉になります。でも、要するに各人が考える戦場の規模、枠です。どこまでが戦場なのか、どのあたりまでが戦う場所なのかということになります。

 エアランド・バトルでは縦深、近接、後方という3つのフレームワークが確立されましたが、MDOでは縦深火力、縦深、近接、支援、作戦支援、戦略支援の6つにも広がりました。それぞれの定義がきちんと決まり、それぞれの目的にふさわしい、作戦遂行に必要な基本的な原則事項、戦術、戦法、幕僚活動であり、部隊行動の指針となるものです。

 では、陸上自衛隊はどうか。おそらく現在も、新しいドクトリンの確立のために日夜努力をしているのです。ドクトリンの改革は簡単ではなく、具現化するためにはOTMLPと略称される、編成、訓練、装備、教育、人事制度などの改革を一体化して、一貫性をもった施策が必要です。装備や訓練を批判することは簡単でしょう。しかし、戦い方そのものを考えることなく、ただあげつらうような発言は困ります。

▼コンセプト

 コンセプトとは何か。「将来の激しい変化に対応するために、新たな作戦思想や技術に基づいてドクトリンに変革を生みだすアイデア」であると、ある研究官から教示を受けました。

 激しい変化とは、まさに日常です。いまスタンドオフ(敵の射程外から敵を撃つ)を実現するために新しい技術や施策が開発されています。同時に、領域横断作戦という考え方に基づいた新しい戦術や教育も考えられているところです。

 今回は迫撃砲の歴史を考える前に、ドクトリンやコンセプトという軍事を考えるための基礎・基本について寄り道してしまいました。次回は昭和期の迫撃砲、自衛隊砲兵の中の迫撃砲について考えてみたいと思います。

(つづく)

荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。自衛隊家族会副会長。著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか-安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『東日本大震災と自衛隊—自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器で戦った』『自衛隊警務隊逮捕術』(並木書房)がある。