陸軍工兵から施設科へ(3) 陸軍士官学校に工兵科

荒木肇さんの最新刊

自衛隊警務隊逮捕術

…警務隊長は語る。「我々警務官は平素の暮らしの中で規律違反や、犯罪への対応をしているが、今やその平素が有事に近い。…相手にする犯罪者、犯行形態は多様である。そうした事態に立ち向かえる意欲と能力を持った人材がこれからますます必要になる」〈本文より〉







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はじめに

 

 「学術会議」のことが話題です。もとからあの学者グループは、ずうっと創設当時から「非武装・反軍」の姿勢を明らかにしていた人たちでした。それが、長年にわたって利権にもなり、学者世界の中で自分たちの意見の合うものばかりで人事を独占してきたのです。委員になれば、嘘か真か知りませんが、年金までも終生もらえるとか。

 

 もともと日本占領時に連合国軍総司令部の勧告でできた組織です。その目的は、2度とわが国が武力を持てないような仕組みを作るものだったことが明らかになっています。軍事研究には決して協力しない、そういった決議も半世紀以上の長さをもって生きながらえてきたのです。報道されているように、そのくせ、中国にはせっせと軍事研究をさせているとか。

 

 今回、さすが菅さんは戦後レジュームを解体すると宣言した安倍政権の後継の強い意志を示したものと、わたしは評価しています。

 

 なお、おかげさまで『自衛隊警務隊逮捕術』を読んで下さる方が多いようです。ありがとうございます。

 

 

大阪兵学寮

 

 1869(明治2)年12月28日、新政府は大阪に兵学寮を開設する。新しく入った生徒は33人、歩兵・騎兵・砲兵の3兵科の士官を養成するのがねらいだった。これを青年学舎といい、のちにつくられる幼年学舎と対をなすものだったのだろう。

 

 翌1870年1月には、各藩に命じて生徒を入れることになった。大藩(20万石以上)4人、中藩(15万石前後)3人、小藩5万石以上は2人、5万石未満は1人である。全国規模でフランス式伝習を広げようとしたわけだ。このとき、同時に建築科をつくった。これがのちに工兵科になったのだ。

 

もっともこの各藩からの貢進生(こうしんせい・派遣生徒)の規模はさらに同70年閏月、さらに拡大された。現石15万石以上の藩は9人、同じく5万石以上は6人、1万石以上は3人と定められた。

 

4月24日には、京都にあった仏式伝習所の生徒100人を大阪に移し、兵学寮の管轄下に入れた。これを教導隊といった。砲兵30人、騎兵20人、それに建築兵5人というものだった。この生徒たちは下士の候補生である。

 

 5月12日には、神奈川県横浜にあった語学所を大阪に移転する。その生徒35人を幼年生徒とし、組織を幼年学舎ということにした。このうちから10人が選ばれてフランスに派遣された。もともと横浜の語学所は旧幕府のつくった学校であって、貿易に必須の英語とフランス語を主に教えていたところである。

 

 この陸軍兵学寮は、風俗史研究者として高名な柳生悦子氏の『まぼろしの陸軍兵学寮』(1983年・六興出版)にその様子が詳しく書かれている。まず、毎日の暮らしはラッパによって管理された。フランス陸軍直輸入の譜面を使っていたという。柳生氏によれば、日本陸軍が独自のラッパ譜を使い始めたのは1886(明治18)年になってからだそうだ。

 

 起床ラッパは6時、乗馬訓練や馬の手入れ、世話に2時間、朝食は9時だったらしい。この正確な時計によって鍛えあげられる生活は、旧藩時代からの暮らしを続けてきた生徒たちにとっては、なかなかなじめないものだっただろう。冬と夏では「いっとき=2時間」の長さが違うのである。

 

 テレビなどの時代劇では、ついうっかりと「夏だから6時でもまだ明るいな」などというセリフや演出が出ることがある。あれは史実ではまったくの間違いであり、江戸期の人は日の入り(日没)が夕の6時であり、日の出は朝の6時だった。だから、夏の一刻(約2時間)と冬の一刻とはまるで違っていたのだ。

 

 それが、西洋式の24時制の時計によって、1年中変わらぬ暮らしを強いられる。しかも、すべて行動は5分前である。食事の内容もまた、生徒たちを戸惑わせたらしい。「朝は豆汁、あるいは肉脂汁、昼には牛肉や魚肉を食べる」。豆汁とは味噌汁のこと、肉脂汁というのはスープらしい。

 

青年学舎の学習

 

 青年学舎は急いで西洋風の士官をつくる学校だった。規則にも「専(もっぱ)ラ技芸ヲ先ニス」とある。幼年学舎は「学課ヲ学得セシメ後日ノ大用ニ供スル」ということから「読書ヲ先ニシ技芸ヲ後ニス」とある。

 

 ここからも分かるように幼年生徒こそが正規将校の養成コースだった。語学や座学とされた西欧風学問の学習が優先されたのだ。

 

 そこで青年学舎では、入校のときに一応の試験を行なった。作字、これは書簡の往復ができるかという意味。国史、国史略・日本外史・日本政記などおおよそ読めるか。漢籍、一通り読めるか。算術、これは加減乗除の四則計算がほぼできるかという程度である。

 

 以上をみると、受験する青年武士たちは、ソロバンなどはもってのほか、経済や法律、物理、化学といったような西欧的教育をほとんど受けていないことが分かる。これが入校して授業を受けると、算術だけで、分数・小数・比例式・連数・対数を習う。さらに代数学として加減乗除・奇零指数・1次方程式・2次方程式・対数を学び、試験を受けることとなった。これに幾何学も加わった。

 

 軍事学としては、野戦要務・築城書・三兵練法・用兵学・馬術・図学という内容である。

 

正規士官養成コース・幼年学舎

 

 「府藩県華族士族庶人ニ拘(こだわら)ズ」19歳以下を募集している。この華族だろうと士族だろうと、庶民だろうとこだわらないというところに維新政府の心意気が見られる。しかし・・・、4年間の修業の後に試験をするとある。

 

 歩兵生徒は、代数・幾何学・対数・三角法・物理学・測地学・万国地理誌・本朝隣国地理誌・フランス語その他ドイツ語、英語、蘭語に通じるはなおよい・図画学・兵事規範・軍律・砲術築城(ただし歩兵隊に入用の分)・歩兵運動・馬術、水泳とある(一部を省略した)。

 

 騎兵生徒は上記、歩兵とほとんど変わらず、砲兵生徒はなお厳しくなっている。それは、数学の中に微分・積分、動学・流体動学、動力学、器械学、博物学、化学、砲術全部、各種大砲調練と騎操規則などがある。

 

 そして築造兵生徒は、砲兵隊生徒とほぼ同じであり、ただし築城学はすべてを学ぶ。家屋建造学、水中造営学、測量全部などがある。

 

 明治3年11月3日、兵学寮は陸軍兵学寮と改称された。このとき、同時に東京築地にあった海軍操練所が海軍兵学寮となったことに相応している。

 

 次回は陸軍兵学寮の廃校と士官学校の始まりについて調べよう。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和二年(2020年)10月28日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊警務隊逮捕術』((並木書房)がある。







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