自衛隊警務官(35)─陸軍憲兵から自衛隊警務官に(35) 宣誓解放とは何か?

荒木肇さんの最新刊

日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想

「きわめて人間臭い、戦場の実相の一部が目の当たりに浮かぶような気がしました」(元自衛官)
「兵器装備というのは、予想戦場、兵士の知的水準、兵站補給、技術工業水準、その他もろもろの要素が絡み合って開発される・・・といった常識がとてもよく理解できました」(経済人)
日本の技術者はどんな兵器を開発し、兵士たちはどんな訓練を受け、戦ったのか?
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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はじめに

 

 前回では森林太郎の衛生部員の送還について書きました。今日は、その後の森軍医総監の国際法教育のこと赤十字条約の普及への貢献をお話します。また、旅順要塞の降伏にともなっての捕虜の宣誓解放についてお知らせしましょう。

 

 

緊急反論「軍民離間」の工作

 

 戦前憲兵隊が恐れていたのは「軍民離間(ぐんみんりかん)」ということでした。それは国民の財産である軍隊と、それを支える国民の間の信頼関係を壊すことをいいました。敵対勢力が軍隊に不信感をもたせる情報を意図的に出す場合もありました。あるいはうかつにも軍の関係者が、部外者には理解されにくい実態の一部をもらしてしまうことなどが原因でした。

 

 たとえば、陸軍の内務班では毎晩のように私的制裁がある。学校を出ている新兵は小学校出の下士官や上等兵からいじめられる。俸給だけでは必要な金が足りないので送金しなくてはならない。こうした話が世の中に流布されると、軍隊への信頼感が薄れ、軍隊と民間、一般社会との間が離れてしまうというのです。

 

 先日、B社のオンラインから陸上自衛隊第1空挺団についての配信記事がありました。それは、まさに陸上自衛隊への国民の信頼を損なう記事でした。以前からこの筆者の存在は、防衛大学校への批判的記事などでわたしも知っていました。それもいささか的外れな防衛大学生の能力批判でした。自衛隊を憂えるといった正義感からと主張されていましたが、今回の空挺団長をパワハラの実行者として糾弾する記事にはまったく納得がいきません。

 

 筆者は十分な取材も調査もした上で、多くの内部からの証言も得ていると言っています。空挺団の隊員からも、防衛省内部からも情報を得たそうです。そうしてパワハラで部下を苦しめるような人間が、陸上幕僚監部の人事部長に異動するのが許せないといった主張につなげています。

 

彼が部下に対する団長のパワハラの事実だと挙げたいくつかの事例は、誤解されることを覚悟でいえば、わたしのように少しでも自衛隊の仕事の中身を知る人間にとっては珍しい話ではありません。

 

 一般企業と、法令によって生命を捧げることが義務となっている自衛隊と異なるところはたくさんあります。よく誤解されているところがあるので書いておきます。

 

危険な職務に従事するのは警察官や消防官も同じではないかという人がいます。ところが、服務の宣誓で「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め」というのは自衛官だけです。警察官も消防官もいずれの宣誓でも「警察職務を遂行」「消防職務を遂行」するという言葉になっています。

 

 自衛官だけが「事に臨んで危険を顧みず・・・」という文言が入っているのです。それは自衛官が行動する戦場は、非人間的な環境、不条理と無理がまかり通る所だからでしょう。そうであればこそ、日ごろの勤務も世間の会社勤めとは違います。民間企業では、書類のミスや、手順の間違いがあっても命まで失うことは滅多にありません。自衛隊の部隊では、そうしたことが自分の、仲間の生命を失う結果になることばかりです。戦場では全軍の不利をもたらしてしまうこともあります。

 

 だから、注意の仕方も、指導の言葉も、ふつうに考えたら乱暴な厳しいものに見えがちです。実名を出されて誹謗されたK団長は、わたしの知る限り、真っ正直で、公平で、部下に優しく、自分には厳しい人です。記事の中には多くの部下が残業を当たり前にしているなかで、自分だけ5時になったら帰る、土曜日にはラーメン屋で朝から並んでいたなどとあります。

 

 当たり前のことでしょう。残業は部署ごとのことだろうし、団長が用もないのに勤務時間を過ぎて隊内にいたら部下にとっては迷惑です。また、休日の土曜日に団長がラーメンを食べたらいけないのでしょうか。

 

 筆者はとくとくと書いています。防衛大臣に記事の中身を通告し、調査・回答を要求した。1週間待たされたと。おかげで空挺団は大変だったことでしょう。調査が入り、業務が妨げられ、多くの時間を使わされたのです。こうした人はよくおります。自己紹介をみると、どんなことにも一家言あるような高名なジャーナリストのようです。

 

こういう人の中には内部の人間も知らないことを、さも知っているかのように語る人もおります。また、自分の筆の、文章の力で世の中を、自分が属してもいない組織を改革したいという使命感があるようです。

 

残念ながらK団長は陸幕の人事部長にはなりませんでした。予言は外れていましたが、軍(自衛隊)と民(一般社会)の信頼関係を損なうデマゴーグと言ってよいでしょう。

 

 

鴎外は軍医総監として戦時法規を教育した

 

 1907(明治40)年11月、?外森林太郎は陸軍軍医総監となり陸軍省医務局長となった。軍医としては最高のポストであり、兵科の中将相当官である。翌年4月には「陸軍軍医学校教育綱領」が出される。そのなかに軍医学生に与える学術科目がある。

 

軍陣衛生学 (2)軍陣防疫学 (3)軍陣外科学 (4)軍陣内科学 (5)選兵医学(徴兵検査等に関する医学) (6)戦術学、地形学 (7)野戦衛生勤務学 (8)国際法大意並びに赤十字条約

 

 また同じく将校相当官である薬剤官(大学薬学部、薬科専門学校を出た薬剤師資格をもつ)には、軍陣衛生学、軍陣衛生化学、比較薬局方学、軍陣製剤学、医科器械学の他に、医官と同じく、国際法大意と赤十字条約を学ばせることにしていた。

 

教授の要目

 

 1909(明治42)年の教育細則を読むと興味深い。週の実施時間の配分がある。軍陣衛生学は9時間(以下、時間を省く)、防疫学7、外科学6.5、内科学5、選兵医学7、戦術学・地形学1.5、野戦衛生勤務学1.5、国際法附赤十字条約1.5となる。合計39時間で、軍陣衛生学と同防疫学の比重が高く、同じく選兵医学も多い。

 

 軍陣衛生学とは何か。条例を見ると、「兵衣、兵食、兵営、兵薬等に関する衛生」と書いてある。軍陣防疫学とは「軍隊に多発する伝染病の蔓延(まんえん)及びその予防に関する学説及び実習を行う」とあり、「平戦両時においての病原体検診」を練熟させるもの。

 

軍陣外科学こそ戦時の軍医官の専門である。やはり「戦傷に関する主要の学説を講授して戦時においての軍医の外科的作業を講授し大小手術を実習させる」とされた。レントゲンに関する学習もあり、診断治療上の応用も学ばせる。口腔外科もここに入る。歯牙疾患も一応の領域に入っている。軍陣内科学には、精神疾患に関する内容が含まれている。

 

選兵医学は範囲も広く、内容も多いので意訳してみよう。眼科では屈折機検定、視力、視野、色神、光神の測定、詐偽(さぎ)眼病看破(かんぱ)法を学ぶ。耳鼻咽喉科では聴器診断、聴力検査、偽聾(ぎろう・耳が不自由と嘘をつく)の看破法を学ぶ。皮膚科泌尿器科では、花柳病(かりゅうびょう・性病のこと)の診断・治療法が重視された。

 

こうしてみると、徴兵逃れのために詐病(さびょう)をする者が案外多かったことが分かる。偽の眼病や耳が聞こえないなどの嘘を看破する方法を学んでいたのだ。

 

戦術学や地形学をなぜ学ぶか。戦術の原則を知り、地形を考え、地図の見方などを学ぶのは、やはり軍医も軍人であり、戦時の衛生機関の運用をするからである。

 

このように、国際法のおよその知識と、衛生要員を非戦闘員とし保護をうたった赤十字条約と陸戦法規について森軍医総監は衛生部員に徹底しようとしていたのだ。

 

捕虜の宣誓とは

 

 宣誓をした捕虜は解放し帰国させるという慣例があった。日露戦争のロシア軍捕虜の中にも宣誓をして解放された者たちがいた。

 

 旅順要塞は「開城」することになったが、佐藤庫八氏が紹介された有賀長雄博士によって起草された規約にも次の規定があった。第7条である。そこには「将校と所属官吏に帯剣と直接生活に必要な私有品の携帯を許す」ことと、「将校、官吏と義勇兵については筆記宣誓すれば本国に帰還できる」という記載があった。

 

 筆記宣誓の中身は次のようなことである。戦争が終わるまで武器を取らない、日本軍の不利益になるようなどんな行為もしない。これを約束すれば将校と相当官は、同じく宣誓した従卒とともに帰国できたのである。

 

 旅順要塞の最高司令官ステッセル中将は、ただちに皇帝に電報で許可を願った。皇帝もまた、宣誓して帰国するか、それとも敢えて部下の兵士たちと捕虜生活を送るか自由であると返電した。

 

 おかげで、4万3975名のロシア軍捕虜のうち、陸軍将官7名海軍将官4名と陸海軍将校550名と文官下士卒など877名は宣誓の上で帰国したのである。

 

 こうした宣誓解放はどのような経緯で生まれたのか。次回は歴史的な考察を加えてみよう。

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和二年(2020年)8月12日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊警務隊逮捕術(近刊)』((並木書房)がある。





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