自衛隊警務官(11)─陸軍憲兵から自衛隊警務官に(11) 憲兵の服制について

荒木肇さんの最新刊

日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想

「きわめて人間臭い、戦場の実相の一部が目の当たりに浮かぶような気がしました」(元自衛官)
「兵器装備というのは、予想戦場、兵士の知的水準、兵站補給、技術工業水準、その他もろもろの要素が絡み合って開発される・・・といった常識がとてもよく理解できました」(経済人)
日本の技術者はどんな兵器を開発し、兵士たちはどんな訓練を受け、戦ったのか?
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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ご挨拶

 

 新型コロナウィルス、終息どころかさらに蔓延・・・。感染者が増えて、ますますの警戒が必要です。多くの人が集まる企画や、大きな行事も次々と中止になっています。わたしは23日(日)の陸上自衛隊東部方面総監部(埼玉県朝霞市・東京都練馬区)の創立記念行事、29日(土)の警務隊逮捕術の5年ぶりの全国大会、3月8日の第32普通科連隊(埼玉県さいたま市)の創立記念行事があいついで中止決定が下されました。

 

 

 たいへん残念な思いがしていますが、この感染の拡大期に際して、各主催者の英断を高く評価しています。わたしの住む横浜市でも人出が激減し、観光名所は閑古鳥(かんこどり)が鳴くという状態です。これまでは桜木町からみなとみらい地区、山下公園付近まで、休日ばかりか平日も混雑していたものが、感覚的には3割くらいの人の数のようです。

 

 もちろん、最大の原因は隣国からの観光客がいなくなったことが原因でしょう。ただ、住民である私たちも不急不要な外出を控えるといったこともあります。テレビを観ていると、感染者が出た自治体とそうでない自治体では、対応に温度差があるようです。しかし、いったん病魔が出現したら、ことは簡単ではありません。

 

 

 友人の話では、この季節の「鍋物で盛り上がる」はずの居酒屋は予約が大変取りやすくなっているとか。また、保菌者の方が出たという屋形船の予約が取り消されたり、ホテルの宴会がキャンセルされたりといった消費動向も心配です。少しでも被害が軽減されるようになることを願っています。

 

 

憲兵の正衣袴(せいいこ)

 

「憲兵は軍の黒子(くろこ)である」という精神と裏腹に憲兵の服制は派手に目立つものだった。黒子というのは歌舞伎で演者の介添えをする、黒一色に装った人のことである。顔面まで黒い布で覆ったその姿は、観客には見えないという約束になっている。しかし、憲兵の存在は、目立つことによって抑止力にもなる。

 

 まず、最初の法令である「憲兵条例」を見よう。
明治14(1881)年2月11日に出された。その第1条は「凡ソ憲兵ハ陸軍兵科ノ一部ニ位シ巡按(じゅんあん)検察ノ事ヲ掌(つかさど)リ軍人ノ非違ヲ視察シ行政警察及司法警察ノ事ヲ兼ネ内務海軍司法ノ三省ヲ兼隷(けんれい)国内ノ安寧(あんねい)ヲ掌ル」とされている。

 

「巡按(じゅんあん)」というのは、いまは使われることも少ないが、「巡」はめぐること、いまでいえばパトロールである。警察官の階級に「巡査」があるのはそのためだ。「按」は「按配(あんばい)」という言葉がある通り、「調べる」ことをいう。また、国内警察は内務省の管轄であり、司法省は裁判や検察を受け持った。そして、海軍省にも「隷する」ということから海軍軍人にも、海相を通じて憲兵の権限が及ぶということを明らかにしている。したがって海軍には陸軍憲兵のような存在はなかった。

 

 同年3月21日には太政官(だじょうかん)から達(たっし)が出て、「陸軍憲兵服制」が決まった。太政官というのは政府のことであり、内閣制度が始まるまでは、いまでいう政令はこの名で出された。

 

憲兵将校の正衣、軍衣袴、軍刀は「明治八年制」の歩兵将校と同じである。正衣というのは、民間でいう礼装のことであり、儀式、行事、拝謁などに使われた。その規定は細かかった。明治八年制を確認してみよう。全体でいえば、フランス式の模倣である。

 

 正衣は上着のことで、黒または紺羅紗(こんらしゃ)、胸ボタンは9対2行で、階級表示の袖章をトレーフルといった。これは無限結びと訳されるが、各地の自衛隊資料館にも多く残されていて、直に見ることができる。トレーフルとは英語でクローバーのことである。袴(ズボン)には側章(サイド・ストライプ)が付き、将官は兵科がないので金線1分(約3ミリ)の幅だった。

 

 佐官以下は砲兵黄色、工兵白、歩兵緋、騎兵萌黄(もえぎ・若草色)、輜重兵紫で音楽隊は紺青(こんじょう)である。後世の工兵は鳶(とび=濃茶色)となっていて、この時代では異なっていることに注意が必要である。この緋色や萌黄という用語は、古来の鎧(よろい)の縅(おどし)色であり、伝統復帰の匂いがする。この傾向は襟の飾りにも見られる。

 

詰襟になっていた襟には将官が「剣亀甲(けんきっこう・亀の甲羅の文様)」、佐官は「雷門崩し(方形の渦巻き状の文様)」、尉官は唐机(からつくえ・古代からの輸入品の座卓)の角などに現在も見られる意匠が採られたことも太田氏は『日本近代軍服史』で指摘されている。金糸で刺繍された手の込んだものである。

 

これらも資料館で確認できる。軍医部や会計部などの士官以上の襟章や袖章は銀線を交えた。興味深いのは軍医と馬医(のちに獣医部)の帽章で、「舌出し」とからかわれた赤い横線が一本ひかれたものだった。赤十字はキリスト教を思わせるとされて採用されず、銀色の長方形の台に赤い横一線がひかれた。

 

明治8(1875)年の服制

 

 NHKの『八重の桜』では西南戦争の描写も多かった。前にも述べた山川浩歩兵中佐などが活躍した場面もあった。あの軍装(軍衣袴)が明治八年制である。これは正確には明治9年の12月の「陸軍服装規則」によったものであろう。黒または紺羅紗のジャケットで、10対もの黒い肋骨式の胸飾りをつけたホックでかけるものである。ホックで胸前を合わせるのは現在の防衛大学校の制服にも、私学の学習院高校や中学の制服でも採用されている。

 

 

 ただし、陸軍将校たちは襟、袖口、前の合わせ目に黒い毛の方を表にした毛革縁(けがわぶち)か、黒い毛織縁で飾っていた。これは映像でよく再現されていたが、実物はほとんど残っていないのだろう。

 

階級章は正衣と同じで、トレ―フルを1分(約3ミリ)の黒線で表した。略帽(りゃくぼう)が明治10年10月17日に制定されるまで、軍衣袴の場合でも正帽をかぶっていた。だから西南戦争では政府軍将兵の帽章は旭日(日章)だった。また、この頃の夏服は白色でよく目立った。

 

略帽(のちの軍帽)

 

 軍帽(ぐんぼう)というのは、軍衣袴のときにかぶった。ドイツ式のミッツェ型といわれる。現在でも警察官や自衛官が使っている。また、筆者の少年時代は、どこの学校にも上部がふくらんだ制帽があったはずだ。クラウンが大型で、鉢巻き(額回り)が幅広く、顎紐がなかった。

 

鉢巻きの色で兵科や階級も分かった。将官と参謀官(後に参謀科は廃止)の鉢巻きとクラウンの縁は白、近衛は将兵ともに緋色、各鎮台と隊外の会計・軍医・馬医は黄色、そうして前面の星章が初めて採用された。正帽は日章(旭日=太陽)、略帽の帽章は星というのが始まったのはこれからである。

 

 専門家らしい指摘もある。太田氏は当時、星を軍服の記章に使っていたのは、アメリカ合衆国陸海軍の将官の肩章だったという。だから、グラント将軍の肖像画でも見て、参考にしたかもしれないと書かれている。

 

寄り道ついでにアメリカ軍の階級表示は、金色の真鍮より銀が上であることに特徴がある。まず尉官は材木だという。1本が少尉(ただし、真鍮だから金色)、同じ1本で銀色が中尉、銀色2本が大尉、少佐は金色の葉、中佐が銀色の葉、大佐は大空を飛ぶ鷲であり、将官はさらに高い位置にある星である。

 

憲兵だけは正帽をかぶり続けた

 

 憲兵将校の正衣袴と軍衣袴、軍刀は歩兵将校と同じと書いたが、目立つようにもされた。将校は金線、下士卒は緋色の毛糸線を付けた萌黄の正帽をかぶった。また、戦闘中はじゃまにもなっただろうが、正衣でも軍衣でも、萌黄の飾緒(しょくちょ)をかけた。外套の袖口を下士卒まで緋色にしたのも目立たせ、権威を与えたものだろう。

 

 1980(昭和55)年の東映映画『二百三高地』を記憶されているだろうか。小学校訓導だった予備少尉(あおい輝彦)と女学生(夏目雅子)の悲恋と、児玉(丹波哲郎)と乃木(仲代達也)の友情と苦衷、兵士たちの戦場での激闘、悲劇を描いた大作である。

 

 その中で捕虜となったロシア軍将校の尋問にあたる場面があった。テントの中には日本軍参謀、通訳となった古賀中尉、そして緋色の正帽(旭日章付き)をかぶり、黒い上着に肩章と袖口を緋色にし、緋色のズボンをはいた憲兵がいた。ロシア将校の暴言に怒りを爆発させた古賀中尉は拳銃を撃ち、参謀と憲兵に拘束されたが、あのシーンの憲兵の立ち会いはかなり正確に考証されたものと感心した覚えがある。

 

 おや、憲兵はいつから緋色の帽子になったかと驚いた向きもあるだろう。じつは、明治19(1886)年に陸軍の服制は大きく変わった。ドイツ式への転換である。

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和二年(2020年)2月26日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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