自衛隊警務官(10)─陸軍憲兵から自衛隊警務官に(10) 軍紀について

荒木肇さんの最新刊

日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想

「きわめて人間臭い、戦場の実相の一部が目の当たりに浮かぶような気がしました」(元自衛官)
「兵器装備というのは、予想戦場、兵士の知的水準、兵站補給、技術工業水準、その他もろもろの要素が絡み合って開発される・・・といった常識がとてもよく理解できました」(経済人)
日本の技術者はどんな兵器を開発し、兵士たちはどんな訓練を受け、戦ったのか?
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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ご挨拶

 

 またまたマスコミだなぁと思わされたのが、今回の横浜港に碇泊したクルーズ船についてです。自衛官は派遣されています。医官が5名というだけとしか受け止められない報道ぶりですが、実際はもっと多くの隊員が出動中です。岸壁の映像には陸自のアンビュランス(救急車)が映っていました。

 

 陸自の衛生科隊員を中心に200人あまりが行動中です。予備自衛官への招集も始まりそうです。どういう意図からか、政治家や論者の中から「病院船」構想が出てきました。何を思いつきでもの言うか、また自衛隊に丸投げかと私は思います。

 

 あくまでも私個人の考えですが、軍隊がもつべき衛生機関は、野戦包帯所、野戦病院、兵站病院と根拠地の拠点病院です。病院船とは十分な医療設備がない陸上や海上の戦地にやむを得ず派遣する船になります。わが国のように、国内戦や国土に近いところに展開するはずの自衛隊に保有させるのは経費的にも難しいと思うのです。さっさと患者を拠点医療機関に運べばいい。その手段を充実させる方がはるかに合理的です。

 

 ただでさえ、定員不足に悩む海上自衛隊から、医官、看護官、薬剤官、検査技師資格をもつ人、それに運航要員、保守要員・・・その大変な数を引き抜こうとするのでしょうか。このような現実を無視した意見が出て、それを防衛大臣が海幕に諮問しなければならない。

 

これが前から私がいう「軍事や軍隊についての素人の思いつき」でなくて何でしょうか。

 

 

 いや、海上自衛隊に持たせる必要はない、他の・・・とおっしゃる方もいますが。たとえば厚労省の所管にする。そうすると乗り組みの医師や看護師、検査技師・・・などの医療要員をどう確保するのか。それほど民間では医療関係者は余っているのか。出動していない場合、いつも洋上に浮かばせておくためには運航要員が必要です。仕事がない医療従事者にも手厚い給与はしておかねばなりません。厚労省のどこにそれらの予算があるのでしょうか。

 

 このように、世間で影響力のある方々でさえ、何かあると自衛隊といいます。防衛大臣も海上幕僚監部に検討を指示することになりました。その調査や、資料の作成にかかる費用も少ない防衛費から出されるのです。こういう姿勢をみなで否定していかないと、わが国はとんでもない事態がますます起きるでしょう。

 

 

軍紀を守るとはどういうことか?

 

 憲兵のモットーは「監軍護法」といわれた。中でも自らが軍紀を守り、軍人に軍紀を守らせることに精力を注いだ。

 

 軍紀とは何か? 「軍紀は軍隊の命脈(めいみゃく)なり」(作戦要務令)といわれた。命脈とは何かといえば、「いのち・生命・生命のつながり」である。つまり軍紀のない軍隊は軍隊ではなくなり、ただの武装した人の集まりになってしまう。だから、陸軍では「(軍紀)の弛張(しちょう・ゆるみとはり)は、実に軍の運命を左右するものなり」とした。

 

 字の通り、軍隊の紀律(きりつ)とも理解できるが、軍隊の紀律を守る行為ともいえた。以下はわたしの好きな文言である。

 

「戦場到る処(ところ)境遇を異にし、且(かつ)諸種の任務を有する全軍をして、上将帥(かみしょうすい)より下一兵(しもいっぺい)に至る迄、脈絡一貫、克(よ)く一定の方針に従い、衆心(しゅうしん)一致の行動に就(つ)かしめ得るもの、即ち軍紀にして・・・」

 

 これだけでは定義として不十分であり、また意味もはっきりしないと感じる読者もおられるだろう。結局は軍隊統帥のために紀律を守るということになる。これが陸上自衛隊の「戦闘間隊員一般の心得」になると、その第2「常に厳正な規律を維持せよ」というタイトルで次のように書かれるようになる。

 

「隊員は部隊の一員として常に厳正な規律を維持し、進んで命令や定められた事項を遵守しなければならない。これによってはじめて全部隊が所望の目的のため統一ある行動をとることができ、困難な任務を遂行することができる」

 

 ここでいう厳正な規律、これこそが軍紀である。

 

 この軍紀の維持、軍紀心の涵養こそ、昔の軍隊教育の原点であった。憲兵はそれらの手本となる、そういった存在としても期待された。

 

軍紀維持への協力

 

 軍紀を確立し、維持する当面の責任者は部隊長や機関の長になる。師団長は師団の全将校下士官兵卒の軍紀心の維持、涵養に責任をもった。軍の機関、官衙の長も当然、それらの所属員のそれに責任をもつことは同様である。

 

 その責任者の力だけでは、なかなか及ばないところがあった。外部から軍隊内への働きかけによる事件である。反軍紀的事象の把握は憲兵が行なった。陸軍の歴史はおよそ70年余りだが、軍への反対運動や組織への攻撃などは頻繁に行なわれていた。明治10年代には、外部の人間が兵卒をそそのかして脱走させたり、下士や将校に取り入り軍需物資の持ち出しをさせたりする犯罪がよくあった。明治20年代には、反戦活動である。日露戦争を乗り切ってからは社会主義者による宣伝や、訓練・教育への妨害も多く行なわれた。

 

 前から語ってきたことだが、建軍からの混乱は大きかった。上級将校たちは藩閥意識で衝突が多く、政治への関与、自分たちが国家の軍隊の一員であるという自覚も薄かった。士族出身の将校、下士官の横暴、それに対する平民出身の兵卒の反抗も起こった。

 

 明治10年代(1877年〜)は自由民権運動の時代だった。士族による武装蜂起は、薩摩の西郷隆盛の挙兵による西南戦争で終りを告げた。しかし、憲法を創れ、国会を開けという声が大きく世間に広がっていった時代だった。

 

軍人は武士である

 

 1878(明治11)年10月には山縣陸軍卿は陸軍軍人に対して「軍人訓誡(くんかい)」を発した。軍人の精神として、忠実・勇敢・服従を挙げた。天皇を尊崇すること、軍階級秩序の尊重、文官及び一般人に対する礼儀、武器濫用(らんよう)と政治容喙(ようかい)の禁止、命令への絶対服従(ただし、事後に意見を語ることは許された)、告訴に対しての手続き尊重を勧めた。

 

 

 その中には興味深い文言がある。「武士は三民の上に位し、忠勇を宗(むね)とし、君上(くんじょう、天皇のこと)に奉仕し、名誉廉恥(れんち)を主とする事たりしは・・・今の軍人たる者、たとえ世襲ならずと雖(いえど)も武士たるに相違なし・・・」

 

 つまり、天皇の軍隊の構成員は、みな武士である。徴兵によって入隊した平民であっても、その身は昔の武士であるといった教えだった。ついせんだってまで農工商人だった者でも、幕府時代には陪臣(ばいしん)といわれた藩士たちも、国家の軍人になったら天皇直参の武士なのだという言葉は心地よく響いたことだろう。

 

豊橋駅襲撃事件

 

 1889(明治22)年といえば、陸軍が鎮台から師団に改編され、大陸での戦闘を準備し始めた頃である。2月24日のことだった。東海道線豊橋駅長の官舎が歩兵の一団に襲われた。兵隊は第3師団(司令部・名古屋)歩兵第18聯隊第3大隊第12中隊の所属だった。

 

 駅長官舎の内部をさんざん荒らした末、兵士たちは次に駅に乱入した。事務室、乗客待合所、建築事務所、器械小屋などの窓ガラスや障子、時計、椅子、テーブルなどを破壊する。帳簿や印章、掲示物や額などにいたるまで損壊、破棄し、電信室では通信機械を壊した。おかげで鉄道電信が8時間にもわたって不通になった。

 

 その原因や事実の経過は松下博士の『陸海軍騒動史』に詳しい。元はといえば、駅構内に汽車見物のために無断で立ち入った兵卒2名を駅員たちが捕まえたことによる。そのとき、駅長以下が、「今は剣を帯びて軍人面をしているが、勝手に立ち入るなという注意書きも読めない。元は土百姓(どびゃくしょう)だからだ」と侮辱したことに兵卒は腹を立てたのだ。こうした言葉は、当時の鉄道官幹部は士族が多かったからだろう。おそらく駅長以下は士族だったに違いない。

 

 その日は大人しく引き下がったが、兵営でこのことが話題になったのだろう。憲兵によって逮捕された駅を荒らしまわり、助役に重傷を負わせた上等兵以下16名は軍法会議にかけられ刑の言い渡しを受けた。普通刑法では電信機破毀罪、殴打創傷罪、器物毀棄罪、建造物破壊罪、同附属物破壊罪であり、陸軍刑法では兵士暴行罪が適用されて起訴された。上等兵4人はいずれも1年の重禁錮、1等卒12名はそれぞれ6カ月の重禁錮に処せられた。

 

 このときの捜査にあたり、起訴の手続きをとったのは、師団法官部の理事(陸軍文官・尉官相当官)と録事(同前・下士相当官)である。軍法会議の判士長は歩兵少佐、判士は歩兵大尉、同中尉、同少尉と砲兵少尉の4名だった。

 

 このように民間人に暴行したような事件は憲兵と法官があつかい、容疑者の軍人は軍法会議にかけられた。軍人は「特殊な境涯」にあるとされ、民間人と比べれば多くの権利の制限があった。

 

 次回は戦時の憲兵について調べてみよう。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和二年(2020年)2月19日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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