陸軍小火器史(34) ─番外編 陸上自衛隊駐屯地資料館の展示物(6)─その他の展示物いろいろ─

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「前盒(ぜんごう)」と「後盒(こうごう)」

 

 ある駐屯地資料館に、陸軍の小銃弾を入れる容器があった。そこには「弾のう」という表示がされていた。「のう」とは雑嚢(ざつのう)などの「嚢」のことだろう。陸上自衛隊では実包は「弾のう」に入れるのでその誤解からだ。

 

「嚢」は袋状の容器であり、「盒」は硬い入れもので蓋(ふた)のある容器のことだ。たとえば炊飯や調理に使う飯盒(はんごう)は硬い。陸軍では硬い革製の「弾入れ」をそのように名づけた。ついでに言えば幕末などでは「胴乱(どうらん)」といった。年配の読者なら、少年時代、昆虫や植物採集で肩からぶらさげた方もおられるだろう。幕末では腰に巻くなかなか強い革製のベルトがなかったので、肩から斜めにさげたに違いない。

 

 弾薬盒(だんやくごう)が正式な名称だが、身体の前に帯革(たいかく・ベルト)に通して2つ付けるのを前盒、腰の後ろに1つ付けたものを後盒といった。前盒は左右につけるので同型である。上が広くて、下が狭い長方形の箱で厚い革でできている。内部には仕切りがあって、そこに5発ずつクリップ(装弾子という)でまとめられた実包が3個ずつ入った。だから、半分で15発、合わせて30発が入った。

 

 細かく説明すると、前盒の長さは150ミリ、高さが90ミリ、幅は上が60ミリで、下は30ミリになっている。横から見ると、上が広くて、下が狭い。逆台形になる。革の厚さは4ミリほどで、さすがに重量物を入れる容器のことだけはある。頑丈である。実包の重さは1発ごとではさすがに軽いようだが、15発だとおよそ360グラムになった。30発では、その倍、720グラムである。

 

 これが7.7ミリに増口径化した九九式小銃用の7.7ミリ実包だと15発で約450グラムにもなった。つまり2つの前盒だけで60発、約2キログラムにもなった。盒の大きさはゆとりがあるので、大型化した7.7ミリ弾でも入ったようだ。もっとも、紙で包まれているだけきつくもなったかもしれない。

 

 蓋は手前から外側に開く。実包は15発が紙箱入りで渡されるので、前盒はしっかりした構造だが、実際にやってみると弾が引き抜きにくい。だいたい第一次世界大戦以後、列国は使いやすいソフトなキャンバスケースに変更したが、装備に関しては日本陸軍はなかなかに保守的だった。

 

 ひとつの理由は、兵士の腰の周りにはさまざまな物がぶら下がる。アメリカ軍のM1ガーランド小銃は、その8発をまとめたエンクリップ実包を布製ポーチで腰に付けたが、けっこうな幅になったように見える。その点、ボックス型の陸軍タイプは大きさを集約することができたからではないだろうか。

 

 後盒は腰の後ろにつけた。長さは174ミリ、高さは90ミリ、幅が73ミリ。前盒より明らかに大きい。やはり内部は2つに仕切れられていて、それぞれ15発入りの紙箱を上下に合わせて2個ずつ、4個で60発を入れた。6.5ミリ弾を入れると、重量は約1.4キログラム。前盒と合わせて120発、弾薬盒とあわせておよそ3.4キログラムにもなった。

 

射撃についての余談

 

 銃弾は薬莢の先についている。薬莢は薬室におさめるために底部が太くなっている。15発をまとめると、上下に差ができる。後盒は先にも書いたが、紙包みの上下をひっくり返して2つ合わせれば四角になる。また、後盒の底部には30ミリ×20ミリの穴が2つ開いている。そこに指を突っ込めるようになっていて、下から押し出すことができた。

 

 槓桿(こうかん・ボルト)を引いて薬室を開ける。装弾子に5発がまとめられた弾を弾倉の上に立てて、親指でグッと押し込むと弾倉の中に右に3発、左に2発、きれいに納まってゆく。槓桿を押して遊底が閉じると、装弾子は落ちて第1発目が薬室に入る。それから安全装置をかけて、射撃準備完了である。

 

 小銃は(歩兵銃・騎兵銃の総称)兵隊とは切っても切れない縁のものだ。末期の幕府には兵が近代小銃を装備した陸軍があった。そこで洋式訓練を受けたが、訓練生がナニに戸惑ったかというと、銃をいつも身につけていることだった。

 

 重さ約4キログラムもの、長い鉄棒をいつも持って歩く。走る。伏せる。障害物を飛び越える。それがいつも小銃を携帯してのことになる。そのことだけでも慣れるのに時間がかかった。

 

 では、昭和の平時に、実弾を撃つ経験はどうだったかというと、3か月の1期の教育中には5発のみ。2年間の兵役期間中すべてを通して35発だったという。「99%は操作方法、射撃姿勢の訓練と手入れだった」という回想がある。ちょっと昔の陸上自衛隊にも川柳「たまに撃つ 弾がないのが 玉にキズ」と平時の実弾不足を嘆いたものがあるが、戦前陸軍だって同じである。

 

変形棒を発見

 

 北海道のある駐屯地にうかがったとき、樫の木で作った棒があった。先端の細い方には鋸目(のこめ)が入っていて長さは約50センチもあったか。たぶん、何かの手入れに使ったモノでしょう・・・と説明されたが、あとで調べたら、正式な名称は「薬室手入れ棒」である。ただし、個人装備品ではなく、内務班(平時の教育中心の編制)に数本が中隊兵器掛(ちゅうたいへいきがかり)から貸し出されていたのだろう。戦記などにはまず出てこない。『陸軍用語よもやま物語』(光人社・比留間弘・1985年)には解説されている。

 

 

 歩兵銃、騎兵銃が兵卒には自分の銃が渡された。中隊の兵器掛の下士官のもとに銃の履歴簿があった。実包射撃を何回行なったかをはじめとして、銃床のどこにどんなキズがあるかなども記録されていた。銃身の中を銃腔というが、その中に錆など出したら大事(おおごと)である。いつも兵卒たちは自分の小銃(歩兵銃・騎兵銃の総称)を分解し、汚れをとり、油をさし、ぴかぴかに磨き上げていた。

 

 薬室(やくしつ)といわれる部分がある。火薬が入る部屋だから薬室といった。火縄銃の時代は、銃身は1本の中が空いた鉄棒で、その末端をネジで閉じた。完全弾薬筒(かんぜんだんやくとう)といわれる、弾頭と発射薬(装薬という)を一体化して金属製薬莢が開発されると、というより銃腔の底の部分が開閉できるようになった。カンヌキ型のボルト・アクションなどという。

 

 薬莢が入る腔は銃身のそれより太くし、薬莢から出たガスが弾を押し出し、後ろに戻らないように、撃ち殻薬莢(うちがらやっきょう)を抜き出しやすいように、前は細く、後ろは太くなるようにテーパーをつけた。薬室は爆圧にも耐えるように肉厚に造ってある。銃腔と違って肉厚で、しかも段差がついているので、手入れがしにくく、こびりついた火薬ガスの残滓(ざんし・残りかす)も取りにくい。

 

 そこで手入れ用の4センチ×6センチくらいの片布(へんぷ・手入れ用の木綿製)を手入れ棒の先端にはさんで、薬室の中をぐりぐりと磨いた。よく聞く「サク杖(キヘンに朔)」という銃身下部の木製銃床に入っている長い金属製の棒は銃腔内部を掃除した。

 

「けんさ、検査で苦労する」とも兵隊歌謡に歌われたように、軍隊ではいつも検査が行なわれた。兵器検査等はたいへんなもので、兵器掛下士官が「銃歴簿」をもって検査官がチェックする。その正式検査の前には「予備検査」があって、不具合や不都合があると大騒ぎになった。そんなとき、この50センチほどの樫の棒は手ごろな制裁用具になったらしい。細い先端をもち、太いほうでコツンと叩く。コブができて「頭が変形する」、そこから変形棒という俗称ができたのではないかと比留間氏は書いている。

 

 比留間氏は海軍の「精神注入棒」のことも書かれた。これはバッターといわれたように、海軍兵員の尻を思い切り叩いたものらしい。陸上自衛隊久里浜駐屯地は、現在は陸上自衛隊通信学校になっているが、元は旧海軍の海兵団などの部隊がいた。通信学校が改築のために古い建物を壊したところ、その床下から「海軍精神注入棒」と墨で書かれたバッターが出てきた。ガラスケースの中に展示してある。

 

文書資料など

 

 典範令(てんぱんれい)というか令典範とも言う。陸軍の公式教科書のようなものである。展示物の中に混じっていることが多い。よく小学校などで、「昔の教科書」と表示されて、校長室の廊下の前にガラスケースに入ってることがある。

 

「令」というのは陸軍の基本にあたり、共通のものである。作戦用務令、軍隊内務令、陸軍教育令、陸軍礼式令、陣中要務令などがあった。「典」というのは、各兵科ごとの「操典」である。「範」は教範のことで、各兵科の中の技術的な内容がのっている。工兵隊では築城教範、渡河作業教範、交通教範、爆破教範などがあった。各科の共通のものもあり、わざわざ「諸兵射撃教範」などという。

 

 内務令などを見ると、いかに全軍画一化を目指した近代組織だなと思わされる。たとえば昭和18年8月11日の軍令陸第16号は『朕(ちん・天皇陛下の自称)軍隊内務令ヲ制定シ之ガ施行ヲ命ズ」で始まる。

 

「各官ノ職務」という項目を見ると、仕事の内容や分担がよく分かる。前々回だったか、副官のことを説明したが、聯隊副官の項(第四節)を紹介しよう。
1 命令、諸達、報告、通報その他の文書の起案、発送、受領及伝達
2 聯隊歴史を起草する
3 聯隊本部図書文書の保管
4 図書類の受領、分配並びに印刷に関する業務
5 公務運賃割引証、下士官兵旅客運賃割引証及乗船証の発行
6 印章を保管し、公用証、外出証、衛外居住証、門鑑、郵便切手及葉書の保管出納

 

 もちろん、こうした広範囲な職務は「聯隊書記」といわれた下士官たちが分担し、副官の指導、監督を受けることになる。

 

 もしも典範令をすべてそろえて持ったら、それだけで一廉(ひとかど)の軍事史研究者になれると言ってもよいかもしれない。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和元年(2019年)7月3日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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