陸軍小火器史

荒木肇さんの最新刊

脚気と軍隊

森鴎外は無能な軍医だったのか?
日本軍の脚気問題は現代日本の縮図!
知られざる脚気問題の苦難と栄光の歴史が、ここに明らかに!!
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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陸軍小火器史記事一覧

陸軍小火器史(1) ―ミニエー銃とゲベール銃(1)

新連載にあたってのご挨拶 兵站史として連載を続けてまいりました。その間、皆様の応援、お励まし、ご教示をたくさんいただき、まことにありがとうございます。このたび、思うことがあって、帝国陸軍の小火器(小銃・機関銃・擲弾筒・拳銃など)について、技術史的な観点からまとめておこうと思いました。 その理由は、戦...

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陸軍小火器史(2) ―ミニエー銃とゲベール銃(2)

銃腔内のミゾ 施条(銃身の中の穴に溝を彫ること)が、弾丸の直進性や打撃力を増すことはすでに前から知られていた。15世紀後半から16世紀の初頭の頃だったらしい。初期のライフル銃は、わが国に火縄銃が広がる前に生まれていたのだ。しかし、それはあまり使われることがなかった。 アメリカ独立戦争(1775〜17...

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陸軍小火器史(3) ―ミニエー銃とゲベール銃(3)

長州藩、ライフル銃隊に負ける 関門海峡の東口は周防灘(すおうなだ)の西の端になる。下関(山口県)側の串崎(くしざき)と門司(福岡県北九州市)側の部崎(へざき)を結ぶ線である。海峡はそこから南西に向けて幅が狭くなってゆく。もっとも狭くなる場所は「早鞆(はやとも)の瀬戸」と呼ばれる、幅がおよそ650メー...

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陸軍小火器史(4) ―小銃弾薬の発達(その1)

?はじめに もういつの間にやら師走の声を聞くようになりました。山を行けば紅葉が深まり、一部からは初雪の声も聞かれます。皆様、いかがお過ごしでしょうか。 この11月は自衛隊の各種行事に参加させていただき研修の機会も多くありました。何より素晴らしかったのは、茨城県阿見町にある土浦駐屯地と、土浦市の霞ヶ浦...

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陸軍小火器史(5) ―小銃弾薬の発達(その2)

?お礼 MMさま。ご指摘の通り、銃の改革、進歩は恐ろしい速さで進みました。1857年型のスプリングフィールド銃には、ライフリングされたものに改装されたものもあったというご指摘、もっともです。そうして、南北戦争が終わると、あまった銃器・弾薬・装備品も次々とわが国に流入してまいりました。次回では、そのあ...

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陸軍小火器史(6) ―小銃弾薬の発達(その3)

?お礼 YHさま、お便りありがとうございました。薩摩、大隅、日向の地形についてのご教示、ありがとうございました。守備する地形がきれいごとを言っていることを許さないとのご指摘にはすっかり納得いたしました。 また、「飛び道具は卑怯なり」から「銃器への嫌悪」が生まれ、いまも武道界には異種競技戦への消極的な...

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陸軍小火器史(7) ―小銃弾薬の発達(その4)

レバー・アクションとリム・ファイア 南北戦争の始まった年(1861年)である。この夏、ワシントンでは20歳の青年が持ち込んだ連発式の後装ライフル銃がトライアルを受けていた。ホワイトハウスではリンカーン大統領までがこの銃を試射している。結果、この青年クリストファー・スペンサーは、現在までも銃砲史に名を...

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陸軍小火器史(8) ―幕末・維新戦争の銃撃戦(その1)

お便りへのお礼とお答え ONさま、お問い合わせありがとうございました。停車場司令部はおおよそ予備役・後備役の将校(大尉級)が司令官となり、主に軍用列車の発着の調整や、通過、到着、出発部隊への厚生支援などを行なっていました。軍用列車には通常のダイヤに組み込まれる予定軍用列車、それだけでは不足する場合に...

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陸軍小火器史(9) 幕末・維新戦争の銃撃戦(その2) ─金属薬莢の後装銃の登場─

ご挨拶とお礼 新年のお慶びを申し上げます。いよいよ今上陛下がご譲位される年になりました。陛下と、支えてこられた皇后陛下が少しでもお楽になればと存じます。新年の一般参賀でもお元気なお姿を拝見することができました。心よりお慶びを申し上げます。 明るい気持ちの中で、解決していない問題があります。まるで海賊...

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陸軍小火器史(10) 西南戦争(1)─不統一の小銃装備で戦った西南戦争─

ご挨拶 成人の日も過ぎ、1月も半ばをこえました。依然として韓国駆逐艦による火器管制レーダーの照射問題は進展を見せません。不法な徴用工の請求裁判について、韓国大統領は「日本側の配慮」とか「謙虚な姿勢をとれ」などと妄言を弄しています。 ひとつ分かったことがありました。この韓国の文武の不法行動について、日...

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陸軍小火器史(11) 西南戦争(2)─幕末・明治初めの拳銃─

S&W No.2 2003(平成15)年6月、新聞をにぎわせた記事があった。熊本城の本丸周辺の整備に関しての発掘調査で、天守閣横の溝の中から拳銃が発見されたのである。天守閣が炎上して失われたのは「薩摩軍」の決起による西南戦争のときである。1877(明治10)年2月のことだった。そのときに焼けた残骸な...

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陸軍小火器史(12) 国産小銃の誕生─村田式歩兵銃・騎兵銃

御親兵と鎮台 1871(明治4)年2月、太政官は「御親兵(ごしんぺい)」を創設する。鹿児島(薩摩)、山口(長州)、高知(土佐)の3つの藩からの兵力を集めた。これがおよそ9個大隊、6000名になる(8000名とする資料もある)。この御親兵は、翌年、「近衛(このえ)」と律令体制由来の名称に改められた。続...

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陸軍小火器史(13) ─時代の制約の中で完成した「村田連発銃」―

爆薬と火薬 爆薬と火薬とはまったく原理が異なる。TNT(トリニトロトルエン)などの爆薬はその働きを爆轟(ばくごう、detonation)という。木炭・硝石・硫黄を混ぜてつくられた黒色火薬はその燃え方は爆燃(ばくねん、deflagration)といわれる。 2つの違いはそれぞれの爆速(ばくそく、vel...

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陸軍小火器史(14) ─日露戦争を戦い抜いた30年式歩兵銃―

ご挨拶 みなさま、新年も瞬く間に過ぎた気がします。関東ではこの3連休、雪が舞いました。東北や北海道の皆さまには豪雪、寒気にお見舞いを申し上げます。 さて、2月9日、県下相模原市の座間駐屯地の第4施設群の創立記念式典にうかがってきました。雪が少し舞って、式典は急遽、体育館内に変更され、国歌斉唱から始ま...

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陸軍小火器史(15) ─騎兵装備用の国産第1号拳銃「26年式拳銃」―

お便りへのお礼 YH様、またまた嬉しいお便りをありがとうございます。30年式銃剣の鞘には、先端に円い球状のふくらみがある物があります。おそらく、鞘をかぶせて実銃で、銃剣格闘の訓練をした名残ではないかという説もあるそうです。また、陸軍初期にはスナイドル銃で着剣した状態で型稽古をしていたと聞いています。...

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陸軍小火器史(16) ─空冷ホチキス機関砲と38年式機関銃―

お詫びと訂正 先週の「26年式拳銃」につきまして、銃器史の専門家の杉浦久也様からご丁重なご挨拶とともに、以下のようなご教示をいただきました。わたしの誤りでした。ここに掲げさせていただきます。「フレーム内の構造はきわめて簡単で、左側のサイド・プレートを開けると見ることができる。開ける道具は不要。撃鉄と...

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陸軍小火器史(17) ─3年式重機関銃―

機関銃は頼りになった 防衛研究所所蔵の『明治37・38年戦役死傷別統計』によれば、歩兵の戦死者の83.1%は銃創、つまり機関銃や小銃で撃たれた。戦闘は野戦と要塞戦に分けられるが、野戦では11万3559人(84.4%)が銃弾に倒れ、砲弾創は14.2%、白兵創はわずか1%、爆創(地雷や、手投げ弾などの炸...

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陸軍小火器史(18) ─サンパチと通称された名銃「三十八年式歩兵銃」ー

「サンパチ」とは俗称である 薬室上部に菊花紋と「三八式」と刻まれている。おかげで「サンパチ」式といわれるが、正しくは「三十八年式(さんじゅうはちねんしき)」である。 30年式は一気に国際標準に達した性能をもつ手動装てん式5連発銃だったが、戦場では意外な弱点を見せた。それは皮肉なことに、製造公差をとこ...

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陸軍小火器史(19) ─独自性が光る十一年式軽機関銃ー

携帯が容易な軽機関銃 第1次世界大戦(1914〜18年)の歩兵の戦いは、日露戦争の旅順要塞戦の再来を思わせた。何層にも重なる塹壕線、接近を阻む鉄条網、堡塁には固定された機関銃。頑丈な屋根付きの防御陣地は榴霰弾の射撃にも生き残り、白兵突撃をする敵歩兵に機関銃の弾を浴びせた。その惨害はレマルクの『西部戦...

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陸軍小火器史(20) ─三十八年式・四十四年式騎銃ー

軍馬と騎乗する軍人 騎兵は乗馬襲撃を本領とする。西洋で生まれた騎兵は19世紀に2種類あった。胸甲を着け長槍で武装した重騎兵と、サーベルだけをもった軽騎兵である。重騎兵の馬は大きく重かった。軽騎兵は捜索、偵察、連絡などを担う。馬は軽快で馬格も小さい。活躍ぶりが有名な秋山騎兵団をはじめとして日本騎兵は軽...

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陸軍小火器史(21) ─10年式擲弾筒と手榴弾ー

日露戦争型手榴弾 旅順要塞戦で日本軍が手榴弾を発明したという話がある。佐山二郎氏の『日露戦争の兵器』(2005年、光人社NF文庫)には、旅順要塞盤龍山(ばんりゅうさん)堡塁攻撃に「手投爆弾」が使われたと書かれている。1904(明治37)年8月22日のことだ。開発者は姫野工兵軍曹である。堡塁の攻撃に、...

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陸軍小火器史(22) ─傑作といわれた九六式軽機関銃ー

チェッコに撃たれる 九六式軽機は、現役を引退した南部麒次郎中将が興した中央工業南部工場製の製品である。満洲事変(1931年)以後の戦場で、中国軍はチェコ・スロバキア製の口径7.62ミリのブルーノZB26軽機を撃ちかけてきた。ZB26は世界最初の完成された軽機関銃であるといっていい。 世界大戦後にチェ...

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陸軍小火器史(23) ─小さな迫撃砲「八九式重擲弾筒」ー

十一年式曲射歩兵砲 十年式擲弾筒が開発されたころ、歩兵は十一年式曲射歩兵砲という口径70ミリの軽迫撃砲を装備していた。第一次世界大戦の教訓から生まれた塹壕戦用の、山なりの砲弾を撃ちだす火砲である。この砲弾は英語ではボム(BOMB)と表記された。ほぼ垂直に落下する迫撃砲弾は着発信管の場合は、水平方向に...

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陸軍小火器史(24) ─7.7ミリ九九式軽機関銃ー

ご挨拶 いよいよ今上陛下のご譲位も近づいてまいりました。新しい御代が希望とともに満ち溢れるよう、「令和」という新元号も嬉しく受け止めています。 そうしたなかで、各地で選挙も行なわれました。つくづく「民意」とは難しいものと思っております。それでも民主主義とはコストがかかるものと、国民誰もが重く受け止め...

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陸軍小火器史(25) ─口径7.7ミリの九二式重機関銃ー

お祝い いよいよ今上陛下が「ご譲位」されることになりました。この記事が「令和」で初めてのものになります。 上皇陛下、上皇后陛下、長い間のおつとめありがとうございました。お礼 YHさま、ご丁寧なお便りありがとうございました。まさにご指摘の通り、正しい先人達の奮闘、勇戦の様子は敵方の記録にあります。ソ連...

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陸軍小火器史(26) ─最後の制式小銃「九九式小銃」ー

お祝い今上陛下がご即位になりました。謹んでお祝いを申し上げます。 史上初の10連休、皆様どのようにお過ごしになりましたか。雨が降ったり、激しい雷雨があったりした地域もあったかと聞いています。被害にあわれた方はいらっしゃいませんか。 わたしは、ほとんど出かけずに終わりました。その代わり、小火器について...

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陸軍小火器史(27) ─輸出をねらった国産拳銃「南部式自動拳銃」ー

将校の拳銃は自弁だった 官給品を定数そろえて貸与される自衛官も驚くのだが、昔の陸海軍将校には被服も装具もめったに官給品はなかった。任官する時には驚くほどの費用がかかった。そのために特別な手当て、といっても必要額にはとても達しないが、支給される規定まであった。 このことは予備幹部の募集・養成にも問題が...

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陸軍小火器史(28) ─九四式拳銃─大量生産できる国産拳銃の開発ー

醜いといわれた拳銃 戦後、米軍の調査によるわが兵器への評価はひどく低い。なかでもこの最後の制式拳銃については、「グリップが小さく、フレームが大きい、不格好だ」ということが定説になっている。それだけではない。フレームの外に逆鉤(ぎゃくこう)が露出している。ハンマー(撃鉄)がコックされている状態で、そこ...

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陸軍小火器史(29) ─番外編 陸上自衛隊駐屯地資料館の展示物(1)─正装、軍装...

ご挨拶 暑い日が続きます。みなさま、体調はいかがですか。わたしは老人なので、とうとう暑さについて、いささか鈍くなってきました(笑)。それでも、26日(日)には埼玉県大宮駐屯地62周年記念式典におじゃまし、中央特殊武器防護隊、化学学校教導隊、第32普通科聯隊の英姿を拝見してまいりました。 トランプ大統...

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陸軍小火器史(30) ─番外編 陸上自衛隊駐屯地資料館の展示物(2)

縦型の階級章 多くの駐屯地には陸軍階級章が展示され、いまの陸自との比較などもされている。ただ、残念なことに肩章と襟章の違い、それぞれの由来などの解説がない。せっかくの遺物がもったいないと思うのは私だけだろうか。 わずかに見ただけだが、程度も展示もさすがなのは需品学校のある松戸駐屯地である。ガラスケー...

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陸軍小火器史(31) ─番外編 陸上自衛隊駐屯地資料館の展示物(3) ー軍刀、指...

はじめに いよいよ入梅、梅雨になりました。先日までの猛暑日や、真夏日とはうってかわって、肌寒い空気にいささか戸惑います。体温調節が難しいです。皆様も体調を崩されませんように。わたしは、5月の各地の陸上自衛隊駐屯地や部隊の創立記念式典にお邪魔させていただき、大忙しでした。 陸軍将校といえば、残された写...

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陸軍小火器史(32) ─番外編 陸上自衛隊駐屯地資料館の展示物(4)─靴や装具な...

ご挨拶 まず入梅です。よく降ります。うっとうしいなと思いながら、それなりに降雨がなければ、夏には水不足がいわれるでしょう。紫陽花がきれいです。 7月には参議院選挙が行なわれ、またまた賑やかな季節になりそうです。いずれであれ、わが日本の将来を託せる政治家の方々に出ていただきたいと願います。陸軍将校の長...

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陸軍小火器史(33) ─番外編 陸上自衛隊駐屯地資料館の展示物(5)─靴につけた...

ご挨拶 大きな地震がありました。山形県、新潟県、周辺の建の皆様には被害に遭われませんでしたでしょうか。たいへん驚き、心配もしております。マグニチュードも7近い数値でした。今後も警戒を緩めることはできません。同時に、他の地方、地域でも油断ができないと思います。 YHさま、いつも興味深いお便りをありがと...

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陸軍小火器史(34) ─番外編 陸上自衛隊駐屯地資料館の展示物(6)─その他の展...

「前盒(ぜんごう)」と「後盒(こうごう)」 ある駐屯地資料館に、陸軍の小銃弾を入れる容器があった。そこには「弾のう」という表示がされていた。「のう」とは雑嚢(ざつのう)などの「嚢」のことだろう。陸上自衛隊では実包は「弾のう」に入れるのでその誤解からだ。「嚢」は袋状の容器であり、「盒」は硬い入れもので...

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陸軍小火器史(35) 番外編(7)─予備隊・保安隊・自衛隊―

ご挨拶 九州その他の地域の豪雨災害に遭われた皆様、いかがおすごしでしょうか? 陸自をはじめ、自衛隊の皆さまも災害派遣お疲れ様です。いつものことながら、対策には、さまざまな課題が見つかり、見直しが始められているとのこと。担当者はご苦労ですが、少しでも早くより安心・安全なシステムの構築をお願いいたします...

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陸軍小火器史(36) 番外編(8)─予備隊の誕生さまざま―

ご挨拶 先日は静岡県小山町須走にある陸上自衛隊富士学校の創立記念式典におじゃましました。天候は薄曇りで、用意した雨合羽も必要ではありませんでした。学校長の式辞、協力会長と来賓代表のお言葉だけがあり、とてもすっきりした構成でありました。 例年、富士学校では、あるいはどこの駐屯地でも、政治家の方々が、入...

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陸軍小火器史(37) 番外編(9)─予備隊の誕生さまざま(2)―

お詫びと訂正 多くの皆さまからお問い合わせをいただきました。FJさま、ご指摘をありがとうございました。またお手数をおかけいたしました。わたしのミスで、国家警察(国警)と自治体警察についてのご説明を忘れてしまいました。まことに申し訳ありません。今日のお話であらためてご説明します。参院選挙について 日曜...

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陸軍小火器史(38) 番外編(10)─予備隊の誕生さまざま物語(3)ー

ご挨拶 いよいよ梅雨明けでしょうか。先週の22日(月)は埼玉県大宮市にある大宮駐屯地盆踊り大会に出かけました。さいわい大雨にもならず、多くの一般の方々が駐屯地の公開に合わせて来場されていました。小さなお子さんが浴衣を着てお母さんに手をひかれて歩かれていました。 25日(木)は東京都小平市にある小平駐...

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陸軍小火器史(39) 番外編(11 )─政策の転換と予備隊

占領政策の転換とドッジ・プラン ドッジ・プラン(ラインとも称される)といわれる経済政策があった。1948(昭和23)年10月のことである。再選されたばかりのルーズベルト大統領から派遣されたデトロイト銀行の頭取、ジョセフ・ドッジが来日した。GHQの経済顧問(正式には公使)になった彼は、財政金融引き締め...

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陸軍小火器史(40) 番外編(12)─予備隊が発足したー

ご挨拶 立秋も過ぎましたが、依然として猛暑は去らず。列島のお盆を直撃しそうな台風。話題に事欠かない8月です。明日は、わたしの苦手な「終戦」記念日。いろいろな追悼番組や、真相追究番組がテレビでも組まれます。どのような主張がされるのか目を光らして受け止めたいと思います。お詫びと訂正 先週の記事について、...

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陸軍小火器史(41) 番外編(13)─混乱の中での組織作りー

ご挨拶 お盆の休暇も終わって、台風も過ぎました。九州、四国、中国地方の皆さんはいかがだったでしょうか。当地、横浜もいくらか風雨が強くなりましたが、全体では大きな被害というものはなかったようです。 さて、「あおり運転・暴行傷害男と女」が逮捕されました。話題としては、わたしが長い間お世話になっている自動...

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著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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