陸軍経理部(24) ―軍馬の話(10)―

荒木肇さんの最新刊

日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想

「きわめて人間臭い、戦場の実相の一部が目の当たりに浮かぶような気がしました」(元自衛官)
「兵器装備というのは、予想戦場、兵士の知的水準、兵站補給、技術工業水準、その他もろもろの要素が絡み合って開発される・・・といった常識がとてもよく理解できました」(経済人)
日本の技術者はどんな兵器を開発し、兵士たちはどんな訓練を受け、戦ったのか?
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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ご挨拶とお礼

 

 MHさま、防人の出自についての記述、あるいは屯田兵的な組織についての説明へのお褒めの言葉、たいへん嬉しく存じました。また、山陽道の海運や行程についてもご指摘くださり、ありがとうございました。大きな兵站の仕組みから、軍馬、ついては古代からの伝統などを知ることが必要だと思っております。今後ともご愛読ください。

 

 YHさま、下士官候補者についてのお問い合わせありがとうございます。大東亜戦争前の昭和13年頃、大動員時代の下士官補充について、お時間いただければ、また調べてお知らせいたします。アーカイブにあるかどうか。確信がありません。

 

 

健児(こんでい)誕生の背景

 

 健児が弓射騎兵であったことが「馬子(めご)」を官給されたことから証明されたことは先週書いた。郡司の子弟、その親族などの有力農民が健児になったに違いない。8世紀の後半にもなると、諸国の軍団兵士の質はひどく低下していた。それはこの時期の「班田制(はんでんせい)」の崩壊と無関係ではなかった。

 

「軍団の兵士は国家の非常時に備えるものだ。それなのに国司や軍毅(ぐんき・軍団の指揮官)が不当に彼らを使役している。国家の損失であるばかりか、悪徳官吏の私益を増やしている(792年の詔)。

 

 もともと先進国「唐」の制度をいきなり導入したのが「口分田(くぶんでん)」と収授(しゅうじゅ)のシステムだった。田を均等に配給し、そこから「租」を確実に取りあげるといった仕組みには無理があったからだ。

 

 土地の私有を一切認めなかった。田地を改良しても、それがすべて自分に戻ってくるわけでもない。どころか、それは官に取り上げられ、他人に渡されてしまう。いくら形式的な平等を進めても、その内実は、それこそ「忖度(そんたく)」や「配慮」で不公平そのものになる。近代の社会主義国家の失敗と同じである。

 

 与えられた口分田を捨て、村を捨て、流浪する農民も多かった。貧富の差は大きくなる一方で、豊かな家に使われ、食わせてもらっている農民たちが増えてきた。それは、里長や郡司を務める地域の豪族の力をいよいよ高めることになっていった。

 

 軍団の軍毅(ぐんき)や主帳(しゅちょう)、旅帥(りょすい)、校尉(こうい)などの指揮官・幹部もこうした豪族(有力農民)がなったから、軍団に地方社会の変化が及ぶのは当然のことだろう。彼らは、時には国司までも、兵士を自分の耕作地で働かせたり、水路の建設や保守にまで使ったりするようになった。これでは東北のエミシの反乱を抱え、大規模な造営(長岡京や平安京の建設)にも取り組んでいた朝廷が農民の負担を減らそうとするのは当然だった。

 

健児の数の不思議

 

 郡司の子弟から選ばれた健児はどんな役割を果たしたのだろうか。また、その実態はというと、またまた国々で様々だった。まず置かれた数の違いが目立つ。

 

 常陸(ひたち・茨城県北東部)、近江(おうみ・滋賀県)では各200人、下総(しもうさ・千葉県北部と茨城県南部)は150人、続いて多い105人は武蔵(神奈川県東部・東京都・埼玉県)だった。そして100人が伊勢(いせ・三重県)・相模(さがみ・神奈川県西南部)・上総(かずさ・千葉県南部)・美濃(みの・岐阜県南部)・信濃(しなの・長野県)・上野(こうずけ・群馬県)・下野(しもつけ・栃木県)・越前(えちぜん・福井県北部)・越後(えちご・新潟県の佐渡を除く全域)・出雲(いずも・島根県東部)・播磨(はりま・兵庫県西南部)になった。

 

 さらに半分の50人が、尾張(おわり・愛知県)・能登(のと・石川県北部)・駿河(するが・静岡県中央部)・越中(えっちゅう・富山県)・丹波(たんば・京都府中部と兵庫県東部)・但馬(たじま・兵庫県北部)・因幡(いなば・鳥取県東部)・伯耆(ほうき・鳥取県中西部)・美作(みまさか・岡山県北東部)・備前(びぜん・岡山県南東部)・備中(びっちゅう・岡山県西部)・備後(びんご・広島県東部)・長門(ながと・山口県北西部)・讃岐(さぬき・香川県)・伊予(いよ・愛媛県)である。

 

 30人ですんだのが大和(やまと・奈良県)・河内(かわち・大阪府南東部)・摂津(せっつ・兵庫県南東部)・山背(やましろ・後に山城・京都府南東部)・伊賀(いが・三重県西部)・参河(みかわ・後に三河・愛知県東部)・伊豆(いず・静岡県伊豆半島と伊豆七島)・甲斐(かい・山梨県)・安房(あわ・千葉県南部)・若狭(わかさ・福井県南西部)・丹後(たんご・京都府北部)・石見(いわみ・島根県西部)・隠岐(おき・島根県隠岐諸島)・安芸(あき・広島県西半部)・周防(すおう・山口県東部)・紀伊(きい・和歌山県全域と三重県の一部)・淡路(あわじ・兵庫県淡路島)・阿波(あわ・徳島県)・土左(とさ・高知県・後に土佐)だった。そして和泉(いずみ・大阪府南部)はたったの20人である。

 

 健児の任務は、各国国衙(こくが・県庁にあたる)、兵庫(つわもののくら・兵器庫)、鈴蔵(すずのくら・駅鈴を保管)の警備、守衛となっていた。鈴というのは「駅鈴(えきれい)」といわれ、公用使などに支給する駅馬(えきのうま)の発行証明に必要な鈴である。

 

 律令体制下では、「すべての道はローマに通ず」というローマ帝国、あるいはモデルとした中国の帝国と同じように、官道が整備された。それが都城を中心に放射状にのびる「駅路(えきじ・えきのみち)」といわれる施設、制度であった。前にも説明した七道である。くり返すと、東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海そして西海(さいかい)の7つ。現在もJR線の新幹線の名称にも受け継がれている。さらに各国の中には中央につながる七道の他に、国衙から各郡家(郡衙)を結ぶ「伝馬(てんま)の路」もあった。

 

 駅路には原則として30里(およそ16キロメートル)ごとに駅を置き、駅馬やその乗具(鞍などの備品)などを備えることになっていた(厩牧令須置駅条)。ただ、いくつか例外もあり、美濃国坂本駅(東山道・岐阜県中津川市)と信濃国阿智駅(長野県阿智村)のように74里(およそ40キロメートル)という場合もあった。有名な江戸時代の馬籠宿などは駅になっていなかったことがわかる。

 

 駅の施設や形態についても国ごとに様々だった。ただ「駅家院」という言葉もあり、「院」は区画された土地だから「駅門」があったことは確かである。また「倉一宇、屋四宇」などという記録もあり、なかなか堂々とした施設を思わせる。「宇」というのは現在の「棟」にあたるだろう。そして「駅亭楼上三通鼓」とも書かれた讃岐(さぬき・香川県)国河内駅などのように「楼(ろう)」、二階建て以上の多層建築物もあったことが文献で確かめられる。

 

 当事、都城から西海道の大宰府に通じた山陽道は重要であり、繁華な道だった。瀬戸内海の水運と同時に、陸上交通の要路として港湾設備も整う人里をもち、物資・人員の輸送でも最も使われた道だっただろう。この道の駅は建物が当時は貴重な瓦ぶきであり、塗壁もあったという。

 

 建物としては「駅使(えきし・駅間を公用で動く人)」の利用する駅馬の厩舎、馬具や駅稲(維持・管理のための稲を納める)の保管倉庫があった。他にも使者のための飲食施設、宿泊施設も大きな役割をしめていた。ただし、私的な旅人、私行人はたとえ駅の使用は許されても、駅馬や駅馬のための糧秣(りょうまつ・食料とまぐさ)などの供給は受けられなかった。施設を使えたのは公用使だけだった。この官人(公用使)が身分証明のためにもったのが「駅鈴」だった。

 

 そうして、重要な官物である兵器庫や駅鈴を納めた倉や国衙を守る任務があるとはいえ、数千人単位だった軍団に比べれば、かなり少ない数である。おそらく弓矢を携帯し馬上で道を巡察(パトロール)したり、弓矢で武装し交代で建造物の警備にあたったりとはいえ、あまりに少ない数には疑問を覚える。

 

 規定を見る限り、健児は戦時に動員されて軍団を編成するわけでもない。衛士や防人として送られることもなかった。結論すれば、国家の常備軍が軍団兵士なら、国ごとの国衙守備兵という大きな違いがあった。米国の軍隊と州兵軍どころの違いではない。米国の州兵軍は戦時には合衆国軍に編合されるのに、健児はまったくそうしたこともなかった。

 

 桓武天皇(在位781〜806年)がとったこの措置は大きい意味があった。朝廷は征夷(エミシの討伐)と平安京の造営という当面する二大事業のために、不時の外敵の侵攻や、内乱の勃発という事態への対応のために、大量の常備軍と動員体制をまったく放棄してしまったということなのだ。

 

健児の変質

 

 律令の軍団制度は、7世紀中ごろの東アジア(中国や朝鮮)情勢の緊迫に対応するために計画され、実行されたものだった。いつ、大陸の軍隊が上陸してくるか、あるいは離れた島が襲われるかわからなかった。筑紫(ちくし・九州北部)に上陸した敵軍は、瀬戸内海の島伝いと山陽道を侵攻コースにし、朝廷の中心部を襲うことすら考えられた。

 

 その緊張が薄れると、ほぼ1世紀で国土防衛軍は解体されてしまった。もし、常備兵が国家にとってどうしても必要と考えられていたなら、何らかの形でそれは整備・維持がされていたはずだろう。それが行なわれなかったのは、唐帝国が8世紀後半の「安禄山・史思明(あんろくざん・ししめい)の反乱」後に、世界帝国としての唐が衰亡していったことと関わりがある。おかげで東アジアの諸民族は緊張関係をもたず、それぞれの発展ができていったのだった。

 

 健児は武の才能に恵まれ、十分に訓練された精強な国衙守備隊である。互いに騎射の腕も競い、多くの武装した従者も連れていたことが分かる。ただ、国によってだんだんと違いが出てきた。給養も国ごとになり、制度にも慣例に従った場合、改革がされたことなどもあった。郡司の子弟でなくとも、「勲位(くんい)」を与えられた元官人(兵衛や衛門府で活躍した者は勲が与えられた)や白丁(はくてい・無位無官)を採用した記録もある。このように国衙守備隊になってみると、中央の統制は十分に行なわれなくなってくる。そうして、地方の無位無官の農民のうちから、あるいは豪族の流れをくむ農民のうちから、武装した「武士」の原型が生まれてくる。

 

 次回はいよいよ、彼らの武装や訓練の様子、馬の供給などを調べてみよう。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(2018年(平成30年)6月20日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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