陸軍経理部(22) ―軍馬の話(8)―

荒木肇さんの最新刊

日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想

「きわめて人間臭い、戦場の実相の一部が目の当たりに浮かぶような気がしました」(元自衛官)
「兵器装備というのは、予想戦場、兵士の知的水準、兵站補給、技術工業水準、その他もろもろの要素が絡み合って開発される・・・といった常識がとてもよく理解できました」(経済人)
日本の技術者はどんな兵器を開発し、兵士たちはどんな訓練を受け、戦ったのか?
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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ご挨拶

 

 KM様 お便りをありがとうございます。いつも的確なご感想に励ましをいただいております。今回の「大脳構造」の変化、認知症とは診断されませんが、まさに人工的な病気なのですね。勉強になりました。ありがとうございます。それにしても、フレキシブルな解釈や、新しいものへの挑戦が大事なのですね。

 

『続日本紀(しょくにほんぎ)』に見える騎兵

 

『日本書紀』をはじめとして、朝廷が編んだ国史を「六国史(りっこくし)」という。奈良時代から編纂事業が始まるが、『続日本紀』はその第2編になる。文武(もんむ)天皇が即位した697年から桓武天皇の791年までを漢文で書かれている。研究者の世界では、「続紀(しょくぎ)」と通称される。ここには多くの「騎兵」についての記述がある。

 

 近藤博士の著作から学べることは次の通りである。

 

天皇は「駕(が)に従わせるために」諸国の騎兵を集めたこと

 

 699年、701年、705年に文武(もんむ)天皇が難波宮(なにわのみや)、紀伊(きい・和歌山県)、難波(大阪府)にそれぞれ行幸(みゆき)した時のことである。そこには護衛の兵力として「諸国騎兵(しょこくきへい)」という言葉が見える。そうして、護衛役を果たした騎兵たちは「調・搖(ちょう・よう)」といった税を免じられていることが分かる。

 

 租・庸・調(そ・よう・ちょう)といえば、古代国家の財政を支えた重要な税制のうちの主なものだ。公地公民制をとった朝廷は、口分田(くぶんでん)という田を耕作者に与え、その代わりに「租」といわれるコメを取り立てた。収穫高のおよそ3%を国司(地方官)が管理する国衙(こくが・国司の役所)に納める。そのほとんどが各国の財政に充てられた。ただし、都に近い国々では、米に搗(つ)いて京に運ばねばならなかった。

 

 国庫や諸国の国衙に、人民が直接納める所得税ともいうべきだろうか。租という言葉は、現在も「租税公課」というように残っている。読者はこれからも、わが国の現在にも古代の律令が大きな影響を与え続けていることを知ることだろう。

 

 庸は本来の意味は労力奉仕をするものだった。正丁(せいてい)とされた21歳から60歳の男子は年間で10日間、都に上って労役に服することとされた。その代わりに布2丈6尺を納めることもでき、やはり国庫の財源になった。1丈は前にも述べたように、10尺であり、およそ3メートル。2丈6尺は8メートルもの長さの布である。それを織ったのは各戸の女性の仕事だったのだろう。

 

 調とは絹・?(あしぎぬ・悪しき絹の意味で、太い糸で織った絹)・糸・綿・布または鉄・塩・海産物などを納めた。さらに染料や食料などもこれに加えられた。品目や数量は「賦役令(ふえきれい)」に規定されるが、その量は時代によって変更があった。興味深いのは京や畿内の者は、その他の地方の半分の負担でよかったとされることである。

 

 また、「雑徭(ぞうよう)」といわれた国司の命令で最大60日間も労役に服する義務もあった。本来、用水路の建設や道路の整備などの現在でいう公共施設などの建設や維持に充てられるのが目的だったが、地方の国司には横暴な者が多く、私益に使うなどの批判が多くあった。これがのちに国司対郡司以下の土着豪族たちとの争いの芽の一つにもなった。

 

外国使臣の送迎には騎兵をそろえ威を示したこと

 

 705年には新羅(しらぎ・古代朝鮮王朝)からの使いを迎えるために、諸国の騎兵を集め、正五位上(じょうごいのじょう)紀朝臣古麻呂(きの・あそん・こまろ)を騎兵大将軍とした。朝廷の定めた官位は一位から三位(ざんみ)までは正・従(じょう・じゅ)の2階級に分かれ、四位(しい)から八位(はちい)まではさらに上下に区分された。正五位は堂々たる貴族であり、天皇の座所に上がることもできる殿上人でもあった。

 

 709年には薩摩隼人(さつま・はやひと)、郡司(ぐんじ)が188人の総勢で上京してきた。それを迎えるために諸国騎兵を500人徴集した。翌710年には朱雀(すざく)の路(みち)に東西に騎兵を並べて、隼人・蝦夷(えみし)を引率した。714年には新羅の使いが朝貢(ちょうこう・朝廷に貢物をもってくること)してきたので、畿内・七道の騎兵990人を集めた。それが入京したときにはさらに170騎をそろえた。

 

 畿内とは五畿七道(ごき・しちどう)といわれた古代の行政単位である。五畿といわれたのは、「やまやまにかわといずみがせっしてる」と暗記ができる。大和(やまと・奈良県)、山城(やましろ・京都府)、河内(かわち・大阪府)、和泉(いずみ・同前)、摂津(せっつ・兵庫県)の5カ国をいう。七道とはその他の各国をまとめた言い方である。東海道、東山道、南海道、山陽道、山陰道、西海道、北陸道をいう。いまも鉄道・新幹線の名前に残っている。また、明治の初めにエゾ地が北海道と名づけられたのもこれが理由である。日高国、天塩国など複数のクニをまとめたからだ。五畿七道といえば、この時代では、いまでいう「日本全国」の意味になる。

 

 紀朝臣古麻呂の「あそん」というのは姓(かばね)という称号である。血族、血筋を重視したのが前近代までの伝統であり、いまからは想像もつきにくいが、人は血筋によって判断された。朝臣(あそん)というのは8種類中の序列第2位の姓にあたる。もともと同じ血族集団は「氏(うじ)」といわれた。居住地の地名や、大和朝廷で携わった職掌の名称がつけられていた。一方で、姓は「かばね」と読んで、それぞれの氏に付随する呼称だった。姓には臣(おみ)・君(きみ・公とも)・連(むらじ)・直(あたい)・造(みやつこ)・首(おびと)などの種類があった。

 

 それぞれの氏の系統によって、授けられる姓は異なっていた。たとえば、天皇家から分かれたいわゆる皇別(こうべつ)の氏族には君・臣であり、天神や天孫といわれた神別(しんべつ)の者には連であり、朝鮮からの渡来者には吉士(きし)・史(ふひと)・村主(すぐり)などの姓が与えられるのが原則だった。古事記などに登場する「膳臣(かしわでのおみ)」は膳が氏、臣が姓である。このあたりは深入りすると学界でも諸説あり、難しくなってしまう。

 

 ここでは朝臣というのは、いわゆる684年に天武天皇が「八色の姓(やくさのかばね)」として序列化したものの1つである。第1等は真人(まひと)続いて朝臣、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣、連、稲置(いなき)の8等だった。真人はふつう皇族に与えられるものであり、朝臣は臣下では第1等という位置づけになる。それだけの高い身分の貴族が大将軍になって指揮をとった。

 

 765年には紀伊国(わかやまけん)への行幸のときに、正四位下藤原朝臣縄麻呂を御前(みさき)の騎兵将軍とし、正五位上阿部朝臣毛人(あべのあそんえみし)を副将軍とした。従三位百済王敬福(くだらおう・きょうふく)を御後(みあと)の騎兵大将軍とし、従五位下大蔵忌寸麻呂(おおくらのいみきまろ)を副将軍とした。

 

 778年には唐からの使者が入京するとき、左右京、六位以下の官人の子孫で編成された騎兵800人が集められた。その翌年には騎兵200人、蝦夷20を将軍が率いて内裏(だいり)の門の警備にあたった。

 

 当時、九州の大隅・薩摩(鹿児島県)の隼人(はやひと)、いまの東北地方の蝦夷(えみし)は勇猛な軍人とされていたことが分かる。

 

騎兵は奥州の鎮定などに使われたこと

 

 737年、陸奥国(むつのくに・現在の東北地方一帯)持節大使(じせつ・たいし)従三位藤原朝臣麻麻呂が4月14日に奏上した。去る2月19日に陸奥国多賀柵(たがのき・現在の宮城県多賀城市・仙台の北)に至り、鎮守将軍(ちんじゅしょうぐん)従四位上大野朝臣東人(おおののあそんあずまんど)と共に企画し、常陸(茨城県)・上総(かずさ・千葉県北部)・下総(しもうさ・同南部)・武蔵(むさし・東京都北部)・上野(こうづけ・群馬県)・下野(しもつけ・栃木県)などの6カ国の騎兵総員1000人を集め、山海両道を開かせた(鎮定すること)。その後、勇健(ゆうけん)196人を選び、将軍東人に指揮させ459人を玉造(たまつくり)等の5つの柵(簡易な砦)に分配して、わたくしどもは余った345人を率いて多賀柵を鎮定した。25日には将軍東人は多賀柵より出発し、4月1日、部下の判官従七位上紀朝臣武良士(きのあそんむらじ)と指揮下の騎兵196人、鎮兵499人、当国の兵5000人、帰服(きふく・降伏して帰順した者)した俘虜(ふりょ・捕虜)249人を色麻柵(しかまのき)から出発し、その日のうちに出羽国(でわのくに・山形県か?)大室駅(おおむろえき)に到着した。

 

 上総・下総、上野・下野などの国名につく上下は、道のりによって都に近いほうが上、遠いほうが下になった。東山道の上野・下野は下は毛国(けぬのくに)であり、官道でいえば、上野は現在の前橋や高崎の駅(整備された施設)があった。「しもつけのくに」が下野(しもつけ)になる。いまも残る房総半島は、南端の安房国(あわのくに)と上総・下総をあわせた地名である。興味深いのは南が上で、北が下になっている。古代の道は相模(神奈川県)から現在の東京湾をこえて千葉に上陸していたことが分かる。

 

 次回は蝦夷との戦い、都を騒がせた恵美押勝(えみのおしかつ)の乱での騎兵の活躍を調べておきたい。そこには射殺(いころす)という言葉が見える。

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(2018年(平成30年)6月6日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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