陸軍経理部(20) ―軍馬の話(6)―

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はじめに

 

 律令時代の国家体制は、唐(中国)からの侵攻への危機感からできました。律という刑法を定め、令という行政法を整え、徴兵制にも似た軍事体制もつくりました。とはいえ、その実態は「建て前」にも終始したといってもいいでしょう。歴史の教科書には公地公民制や班田収授、租庸調や仏教の隆盛ときらびやかな体制が描かれます。しかし、その多くはごく限られた地域や階層の物語でしかありませんでした。

 

 今回は古代の軍団の編制から始めます。

 

 HMさま、興味深いお問い合わせありがとうございました。「軍人勅諭」にはふれても「軍人訓戒」まで進まれる方は奇特なお志をお持ちと感服しました。軍制度史にも関わりますのでわたしも一度、きちんと勉強しなおします。来週にはお答えできるかと思います。

 

 

兵衛と衛士のちがい

 

 江戸時代だけでなく、それ以前から武士の憧れのポストだった兵衛(ひょうえ)、そのため江戸時代には人名にも多く使われた。その兵衛とは、どのように選ばれたのだろうか。『軍防令』に、その記述がある。

 

「そもそも兵衛は、国司、郡司(ぐんじ)の子弟のうち、強(こは)く幹(つよ)して、弓馬(くめ)に便(べん・慣れていること)ならむ者(ひと)を簡(えら)びて、郡別に一人貢せよ」

 

 なお、当時は弓馬を「くめ」と読み、弓を射ること、馬をあやつる技をいった。以下、特に断る以外はすべて「くめ」とすることをお断りする。

 

 国司とは地方を治める官で、いまではほぼ県にあたる行政区域を担当した。長官を守(かみ)、次官を介(すけ)、判官を掾(じょう)、下官を目(さかん)といった。受領(ずりょう)とものちにいわれるようになり、江戸時代には大名や高級旗本が叙任されるようになった。大岡越前守忠相(おおおか・えちぜんのかみ・ただすけ)、幕末の小栗上野介忠順(おぐり・こうづけのすけ・ただまさ)、勝安房守安芳(かつ・あわのかみ・やすよし)などがその例である。

 

 各国には格付けがあり、大国・上国・中国・小国とあって、国司の各官はそれにしたがって位をもっていた。大国の守は従五位上であり、小国は守でも六位の位階をもつものが補任されている。余談だが、重要とされた国は「親王任国(しんのうにんごく)」といい、上総(かずさ・千葉県)、常陸(ひたち・茨城県)、上野(こうづけ・群馬県)であり、守には天皇の息子が任ぜられた。だから、臣下が守を名乗れず、織田信長が上総介(かずさのすけ)を私称したのもうなずける。もちろん、小栗上野介は正規の手続きを受けた本物の国司の官だった。

 

 各国は郡(ぐん・こほり)に分けられ、そこの施政者は郡司(ぐんじ)といわれた。長官は大領・少領(だいりょう・しょうりょう)、次官以下は主政(しゅせい)、主帳(しゅちょう)などが定員とされた。これに任じられる人々は、はるか古墳時代からの有力豪族の子孫だった。都人(みやこびと)、中央貴族から見ればはるか下の身分だったが、その地域ではたいへん力をもっていた人々だった。また、国司の判官以下も土着の有力豪族の出身であることも考えられる。そうであれば、幼いころから馬に乗り、弓にも慣れていて当然だろうと思われる。

 

 同令の中の「内六位条」にも兵衛について規定があった。

 

「そもそも内六位以下、八位以上の嫡子(ちゃくし・跡取りの子)、年二十一以上で、身材強幹(しんざいがうかん)で弓馬に便ならば、中等とせよ、中等を兵部(ひょうぶ・軍事をあずかる中央の機関・兵部省)に送って、試練(しれん)して兵衛とせよ」

 

 身分からいえば、地方からは郡司の子弟から、中央では六位から八位以上の官人の嫡子から選抜することになっていた。なお、「内六位」というのは内官(ないかん)、外官(げかん)という区別のことである。中央政府の規定した中央の官位と、地方の官位は異なっていた。六位というのは下級貴族といっていい。よく「無位無官」などと庶民のことをいうが、そんなことを言えるのは逆に、ほんらい「官位」があっていいのに・・・というような響きがある。正八位というのも明治期になると陸海軍少尉の位階である。ちなみに六位は正・従と2階に分かれて、明治期では従六位は少佐だった。なお、律令の規定では、八位の下には九位があり、さらに下には初位(そい)があった。

 

 つまり、選ばれた者の資質は身体が強健で、弓馬に優れた者であった。このことは、のちの六衛府(りくえふ)の中にあった左右近衛府や左右兵衛府の舎人(とねり)だった近衛や兵衛の選考基準と同じだった。

 

「延喜式(えんぎしき)」の規定

 

 905(延喜5)年、醍醐天皇の命により、藤原時平(ふじわらのときひら)・忠平(ただひら)らが編纂した式(行政法)の集大成が延喜式である(施行は967年)。

 

 その『兵部省近衛条』の記載。
「そもそも近衛・兵衛は、本府(近衛府や兵衛府)が簡(えら)び試し、省と式部省の位の担当官が勲位などを調査し、弓馬を得意にする者を奏問(そうもん・上位にうかがうこと)して補充せよ」

 

 また『左右近衛府擬近衛条』では、次の記述がある。
「近衛に採用しようとする者は、あらかじめ弓馬に優れている者を択(えら)び決めろ」
といい、近衛も兵衛も「便習弓馬者(くめにびんなるひと)」を採用するという意味である。

 

 江戸時代になっても、武家を「弓馬(きゅうば)の家」といい、有能な将を「海道一の弓取り」などといったように、弓射と乗馬が武士の表芸だった。「乗り換えの馬を牽く家」といえば300石取りを指したのも名残だろう。とにかく「武士」とは「馬乗り」のことをいい、徒士(かち)はあくまでも下士の扱いだった。

 

 だから「弓馬」といえば、武士の通称であり、古代の弓射騎兵を指すかというと、それほど単純ではない。というのは『令義解(りょうぎのげ・令の解説書)』によれば、
「弓は歩射(ぶしゃ)なり、馬は騎射(きしゃ・馬上からの弓射)なり」
と解説されている。

 

 そうなると、令にある弓馬が必ずしも限定できない。しかも、兵衛も近衛も身分でいえば舎人(とねり)だから、騎兵だけとは言えないのだ。しつこく言えば、舎人は皇族・高位者・貴人のボディガード、現在のSPといわれる役目も果たしていた。そうなると、必ずしも騎馬の本分者ともいえなくなる。

 

『延喜式』の追加規定をみると、近衛の採用では、
「勅使(ちょくし・天皇の使い)をつかわして、その才芸を試みる。騎射は1尺5寸(約46センチ)の的、みな命中すれば合格とし、歩射は46歩で10本の矢を射て4本以上が的中すれば及第(きゅうだい・合格)とせよ」
 と、かなりの腕前を要求していた。

 

 歩は時代によって変遷があるが、5尺とすれば156センチメートルなので、46歩は72メートル弱になる。当時の弓については、のちに詳しく書くことになるが、最大射程は100メートルほどだろうか。かなりの腕前だろうと想像される。

 

 また勤務時の人事査定にもなった「功過(こうか)」にも歩射と騎射は両方とも評価されていたのである。

 

律令体制下の軍団

 

 各軍団は兵士1000人で組織されていた。その編制表では、指揮官は大毅(だいき)、その補佐として少毅(しょうき)が2人、200人ずつを指揮(統領ともいう)する校尉(こうい)が5人、その下の100人を束ねる旅帥(ろそち)が10人、そして50人ずつを指揮する隊正(たいしょう)20人となっている。これらが近代軍の士官、将校にあたるのだろう。その下部には10人がまとまった「火(か)」があり、その指揮者は下士官にあたるだろうか。

 

『軍防令隊伍条』によれば、騎兵隊の規定がある。
「およそ兵士は各隊伍をくめ。弓馬に得意な者は騎兵隊とせよ。その他は歩兵隊とせよ」
 したがって、律令軍団には弓射騎兵がいたことになる。

 

 また軍団指揮官の大毅と少毅、校尉については、
「部内の散位(さんい・位だけはあって官がない者)・勲位(くんい・同じく無職)、および庶人(しょじん・無位無官)の中から武技に優れた者をあてよ。校尉以下は庶人の中から弓馬を得意とする者をえらべ」
 と書いてある。となると、歩兵隊は弓射騎兵の士官によって指揮されることになる。

 

 これは傍証の一つだが、五衛府制度のころ、中央の兵衛の勤務を終えた者は帰郷して、郡司の大・少領になったり、軍団の大・少毅となったりした事例が多いそうだ。このことは中央の一兵衛に過ぎなくても、元来は弓射騎兵であり、地方では高い地位をもった人々であることが分かる。

 

 また軍団の大・少毅の職務の一つに、部下である士官や兵士たちに弓馬の技を教授し、指導することがあった。このことはやはり指揮官は弓馬に優れた弓射騎兵だったことが想像される。

 

庶民出身の衛士(えじ)

 

 これまでで五衛府制度、後世の六衛府制の中の、兵衛や近衛、軍団の士官、そして一般の兵士にも弓馬の技が要求されていたことが分かった。では衛士はどうだったのか。身分上は兵衛と同じ舎人(とねり)だったとはいえ、軍団兵士から中央に送られたのが衛士であり、九州防衛のために赴任した兵士が防人(さきもり)である。いずれも庶人(民)から徴集された一般農民だった。

 

 この訓練については、やはり『衛士上下条』に書いてある。
「当府にて弓馬を教え習わし、刀(たち)の使用法、槍(やり)のとり方、弩(おおゆみ)を射ること、石をほうせしめよ」
 というのが訓練の中身である。

 

「石をほうせしめ」の「ほう」は手偏に力をこめさせる旧字「抛」である。投石機のことをいう。大きな石を機械ではなつ技術である。石つぶてを投げることでも中世でも有効な戦技だった。騎馬軍団で有名な武田軍にも投石兵がいたことは知られている。こぶし大の石を現在のプロ野球投手のようなコントロールとスピードで投げつけられたら鎧を着ていても十分に危険だった。それが機械仕掛けでより大きな石が投げられた。

 

 弩(ど)は「いしゆみ」と訓読されることから、投石機と誤解されることが多かった。実態は大矢を機械で撃ちはなつ装置である。軍団には2人の弩兵(どへい)がいたことになっている。なお、正しい読みは「おおゆみ」である。

 

 近藤博士によれば、わが国の弩は中国では床子弩(しょうしど)といい、逆に中国で「弩」というのはわが国の「手弩(しゅど)」といい、西洋ではボウガンという。この手弩らしいものがわが国では島根県の姫原西遺跡(3世紀ころ)から出土している。

 

 次回は、「ほこ・槍」についてお知らせしよう。

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(2018年(平成30年)5月23日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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