陸軍経理部(11)

荒木肇さんの最新刊

脚気と軍隊

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先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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ご挨拶

 

 各地から桜の開花の便りが聞かれるようになりました。わたしの家の近くには、名所の三ツ沢公園、また旧東海道沿いの洲崎神社と幸ヶ谷公園があり、毎年楽しみにしています。すると、今日、近くに住む方からうかがうと、なんと幸ヶ谷公園の桜は今年で見納めだそうです。驚きました。理由はソメイヨシノの寿命は短く、すでに老齢になった桜をすべて切り倒すのだとのこと。

 

 桜にも幼木から盛んな頃、そして老いてゆく道筋があるのだとあらためて思った次第です。この日曜日は、座間市にあった「中央即応集団」が発展的解消をするための記念会食会にうかがいました。神奈川県海老名市のホテルで、数百人の招待客がみえました。陸上自衛隊にとうとう5個方面隊を指揮する上級司令部「陸上総隊司令部」が編制を終えて、4月4日には隊旗授与式が行なわれます。

 

 陸上自衛隊、陸軍の歴史を通じて、初めての出来事になります。歴史的な事態に臨んで感無量です。

 

 

委任経理の歴史と成績

 

 原文はある歩兵大尉との問答集になっている。経理官は「經」、兵科将校は「將」であるが、経理官は○、兵科将校は●で表すことにする。

 

 

● 委任経理がわが国に採用されたのは何年ごろかな? また、その成績はどんなものだろうか?
○ 委任経理がわが国で生まれたのは明治8(1875)年のことだった。実に今から50有余年の昔のことだ。故山縣有朋元帥閣下が、当時の国状を考えられ、明治大帝陛下の勅裁をあおいで創設された。法律として公布されたのは明治23(1890)年のことで、それ以来明治41(1908)年にその一部が改正されて、現在にいたっている。それが今日の国状から考えると、きわめて意義があり、重宝な法令であると僕は思う。

 

※解説
 明治建軍、つまり「徴兵制」軍隊が生まれたのは1873(明治6)年のことである。陸軍はこの時代、治安維持を目的とした内政を重視した存在だった。全国を6軍管区に分けて、東京・仙台・名古屋・大阪・広島・熊本に各鎮台を置いた。翌7年には歩兵大隊を順次、歩兵聯隊に改組していった。
 なお、わたしは「聯隊」については、「連隊」を使わずにいたい。戦後の漢字の整理で、「聯合艦隊」や「聯隊」といった字が使われなくなった。しかし、「連」にはさまざまなモノが集まるといった意味はない。陸自については法令上の表記の通りに「連隊」を使うが、帝国陸軍については「聯隊」を頑固に使い続けている。読者もこれを諒とされたい。
 明治8年以前の陸軍経理は、しっかりしていなかった。あやうく山縣有朋も失脚しそうになる大事件もあった(「山城屋事件」)。

 

○ むかしは軍隊の経理は、ただ経理官がつかさどるところだと思われていた。それが明治27・8年の戦役(日清戦争)後から軍備の拡張にともなって、軍費が巨額になった。そこで世間の軍費に関する関心もようやく高まり、また軍隊の施設も複雑になってきた。軍隊経理、とりわけ委任経理もようやく重要な地位をしめるようになった。ところが、まだなお軍隊経理は経理委員の管掌範囲にすぎないという単純な感想にとどまっていた。まあ、その時代の軍隊の中での一般思想では無理からぬことでもあった。

 

※解説
 日清戦争を近衛師団と第1から第6の7個師団で戦った陸軍は、戦後に本格的な増強に取り組んだ。北海道の第7師団をはじめ第12師団の6個師団、騎兵2個旅団、砲兵2個旅団、台湾には混成3個旅団を増設することになった。同時に師団の平時編制も改編されて、騎兵大隊は聯隊に、野戦砲兵聯隊は野戦砲聯隊と山砲兵聯隊に区分された。定員も約9000名から同1万名になり、1889(明治22)年の徴兵令の改正で、戦時動員の制度もほぼ整備された。
 軍事費も大きく増えた。明治28(1895)年の一般会計歳出額は、ざっと8500万円、うち軍事費は2350万円で、それは約28%にあたる。その年の国民総生産が約155億円だから、対GNP比率は1.52%だった。それが翌29年には、それぞれ1億6900万円、7300万円、そして4.4%にもなった。さらに翌30年では、同じく、一般会計歳出額が約2億2400万円、うち軍事費は1億1100万円、対GNP比率は5.65%にも達した。
 また、ヒトの面もふれておこう。「壮丁(そうてい)」と呼ばれた若者がいた。前年の12月1日からその年の11月30日までに満20歳に達する「戸籍法」の適用を受けた者である。「戸籍法」というのは帝国臣民のことであり、台湾人や朝鮮人のような「民籍」の記載者はこれに含まれなかった。
 この壮丁は徴兵検査を受け、合格した者はその年の現役入営者になった。その数である。明治27年には壮丁数は約43万6000人、うち入営者は同2万1000人で、同5%だった。翌年は壮丁数約48万人で入営者は約2万2000人で約4.8%だった。それが戦後の29年の数字は、それぞれ約49万人、4万3000人、入営率は8.8%に跳ねあがった。30年には9.6%、翌年は10.3%と増え続けた。

 

○ その後、明治37・8年戦役(日露戦争)の後に、第2次の軍備拡張となり、軍費がさらに巨大となったので、明治42・3年頃(1909・10年ころ)から数次にわたって経費節約や軍備整理を余儀なくされた。軍隊経理は単に経理委員等のシステムだけでは、とても実効が期待できない。そこで今日では、いわゆる軍隊の「内務経理」とあいまって、初めて効果があがるということになったのだよ。
 軍隊経理が進歩していなかった時代には軍隊経理はそのまま金銭経理の代名詞と理解されたこともある。その通り。委任経理が行なわれなかった時代、あるいは発達していなかった時代には金銭経理がそのまま軍隊経理の全体像だとの感想。それは無理からぬところもあったろうが現在の目から見れば、いかに経済観念が単純であり、いかに経理思想が幼稚だったかを思わせられる。

 

※解説
 近衛師団と第1から第12までの13個師団でロシアと開戦した陸軍は、戦時中に野戦師団4個(第13から同16師団まで)と後備師団2個、後備歩兵旅団10個、独立重砲兵旅団1個などを増設した。それを戦後、常設化したのが4個師団であり、兵役期間も後備役が5年延長され、10年間となった。軍備充実第1期で実現化したのは第17(岡山)と第18(久留米)の増設、2個騎兵旅団(千葉県習志野)、2個重砲兵旅団(神奈川県横須賀、山口県下関)、1個野砲兵旅団(習志野)と交通兵旅団(千葉県千葉市)などである。
 なお1907(明治40)年には平時編制を変えて、陸軍管区の改正、師団編合部隊の変更が行なわれた。陸軍の平時人員数は24万4804名、そして馬匹3万9364頭だった。

 

「内務経理」とは?

 

● 近頃、「内務経理」という言葉がよく聞かれる。現に君も使われたが、いったい内務経理とはどういう意味で使われているのかな? また、その価値はどうなのかな?

 

○ 内務経理とはね、「官物(かんぶつ)尊重心」のことだと結論してかまわない。
 経理委員の制度はもう歴史も長く、改善の余地はほとんどない。だが、内務経理は、まだまだ向上の余地がある。陸軍は兵員をもってその構成の要素とするが、活武器(かつぶき)である馬匹(ばひつ)から死武器(しぶき)である兵器にいたるまで、兵員の操縦(そうじゅう)によって、その用を果たすものだから、兵員それぞれのこれに対しての経済的能力の深浅(しんせん)はただちに経理の良否を判定する材料となるのだ。
 そうして人が多く集まる軍隊では、各兵員各自の微妙なる注意の合計は巨額になる。各兵員の官物尊重心の深浅の分量を合計したものは、その聯隊経理の成績になって表れるものだから、一個人の不注意が、しょせん些末(さまつ・ごく微量のこと)のものだと見逃すと、恐るべき巨額の不利益となるのは分かり切ったことだよね。

 

● 「文人銭を吝(おし)まず、武人命を愛(おし)まざれば天下泰平ならん」。これは昔、支那のある名将が言ったもので、千古の金言(せんこのきんげん・いつでも通用する名言)であると思う。また、古来、わが国では武士道の原則として「武士は金銭外に超越」するを主義としている。これは今後といえども通用するものだと信じる。そうであると、君が言った経理思想とか官物尊重心とかを一般軍人に鼓吹(こすい・大いに勧めること)するということは、この武士道の原則に逆行するものじゃないかと、尋ねる者がいたら、君はどう答えるのだ?

 

○ その説はたしかに一面の真理があるね。だけども、これは武士のそれぞれの個性として、金銭に恬淡(てんたん・こだわらないさま)なるべしと解釈すべきである。だから官公私の金銭を濫用(らんよう・みだりに使い無駄遣いする)して節約を忘れ、物品の取り扱いも粗略にして、いわゆる経理思想に無頓着でよろしいと考えるのは、うなずきかねる。いまでもこの誤解が変に通用して、軍隊では経理思想などは無用だという風潮があるのは、なげかわしいことだ。武人は金銭に恬淡たれということと、内務経理の向上とはしっかりと区別して混同しないようにすることが必要だということさ。

 

経費節約強調の由来

 

● 古い人の話によると、昔は兵が満期で除隊するときには、軍服をひとそろい支給されたとのことだ。また、祝祭日の加給品(かきゅうひん・正規の糧食の他に支給された)などはたいしたもので、各兵は折詰をさげて下宿などにもっていって、酒の肴にもしたということだ。これらから想像すると、むかしはよっぽどゆったりした経理だったということなのかなぁ。

 

○ まったく貴官の言う通りさ。ちょっと解説しよう。昔の6鎮台のころは物価が安く、また今日(こんにち)のように切りつめた経理ではなかったから、幹部に任されて、とりたてて各兵に節約をさせなくても十分に給与をすることができた。その後、軍備拡張にともない、経費節約の声があがり、しまいには明治28・9年頃から前後数回にわたって、莫大な定額の節約を断行されることになった。
 その例をあげると、昔の主食の定量6合というのは、軍隊に対しては米のみを交付されて(つまり高価な白米の価額)、部隊ごとに麦や雑穀を買い入れ混食させた結果(米の約4割の価格だった麦を量でいえば3割混ぜた)の差額は、委任経理の収入としていたのだ。だから祝祭日の加給品が現在よりもずっと派手だったことはよく想像できる。

 

※解説
 日清戦争(明治27・8年)後は『すべて金の世』と、当時のある有名作家が嘆いたように、わが国は資本主義の成立期を迎えようとしていた。物価もあがり、当然、米価も上がり続けた。
 1886(明治19)年の米価を100とした指数でみると、21年には107、22年は112、23年が117、24年、25年といったん下がるが、開戦前の26年には119、戦時中には126と上がり続けた。その後、戦後の28年には135、29年はさらに上がり145にもなり、翌30年が161、明治31年には170という値を出した。この明治30年頃の36歳の旋盤工の一家の記録がある。日給は65銭、26日間働くとして月収が16円余りになる。家賃が4円で、米代金は家族5人で7円60銭にもなっていた。
 具体的な金額では、普通米の価格は、10キログラムあたり1円12銭という数字が食糧庁に残っている。それから換算すれば、白米1升は約1.5キログラムだから1升あたり同17銭となる。だから6合の価格はおよそ10銭7厘である。

 

○ 昔のこと、軍靴は1組6カ月の給与期限だったのが、6カ月半となり、7カ月となり、現在は7カ月半となり、1カ月半の節約となったわけだ。これを1人あたり1年の金額に換算してみると、2円15銭4厘だけ節約されたわけとなるのだ。聯隊の総人員をおおよそ1500名とみると、聯隊の1年が3231円である。これを帝国陸軍の兵員をおよそ20万人とみると、1カ年、軍靴だけで節約できた軍事費は驚くなかれ、43万余円になるのである。この額はほとんど歩兵1個聯隊の1カ年に要する総経費に相当する。
 さきほど僕が語った、各個人の微妙な注意の合計は巨額に上るといい、また1個人の不注意が些末だからといって見逃すのは恐るべき巨額の不利益になると言ったのは、実にこのことを言ったつもりだ。
 僕は経理担当官として、国家の義務兵に対して、それでなくとも豊富とはいえない給与にむかって、靴下の履きのばし、石鹸の節用までを要望するのは非常に心苦しいのだが、東洋の平和を確保すべき天職に任ずるわが帝国は、なるべく小額の経費で軍備の充実を図らなくてはならない。内務経理の要求を大声で叫ばねばならないのだ。

 

● いま君が述べたところの内務経理と経理委員との関係はどうなっているのかい?

 

○経理委員は経理の運用、金銭の出納、物品の保管、支給交換、手入れ、倉庫の管理・・・概して給与の計画方面に任ずるもので、もとから委員の施策がその部隊の経済上に大きな影響をおよぼすことは勿論だけど、これで軍隊経理の全体というのは適当ではないということはすでに申し上げた通りだ。
 つまり、その効果を完結するのは、いわゆる内務経理である。くわしく言えば、軍隊のように、物品経理をその主とするところでは、委員の施策がいかに巧妙適当であっても、受給者の各兵の注意が悪く、取り扱いが粗漫(そうまん・いい加減なこと)であれば、その部隊の成績はとうてい良い結果とはなりえない。
 言いかえれば、委員は経費の有効な運用当局者であって、内務経理は委員の計画、実行した諸給与物体をいかに有効に、いかに命数長く保存できるかに努力すべきなのだ。だから、合衆給与(がっしゅうきゅうよ・集団給与のこと)を目的とする軍隊では、受給者個々の経済的観念、およびその行為の累積が経理の良否を左右するのは自明の理なのだ。

 

 次回ではいよいよ「賄い料」の仕組みも教えてくれる。

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(2018年(平成30年)3月21日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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