陸軍経理部(9)

荒木肇さんの最新刊

日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想

「きわめて人間臭い、戦場の実相の一部が目の当たりに浮かぶような気がしました」(元自衛官)
「兵器装備というのは、予想戦場、兵士の知的水準、兵站補給、技術工業水準、その他もろもろの要素が絡み合って開発される・・・といった常識がとてもよく理解できました」(経済人)
日本の技術者はどんな兵器を開発し、兵士たちはどんな訓練を受け、戦ったのか?
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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ご挨拶とお礼

 

 爆弾低気圧には驚かされました。こちらでは強い風雨ですみましたが、日本海側や北の地域の方では、またまた大雪だとか。いかがでしたでしょうか。

 

 Kさま、いつもご愛読ありがとうございます。川島先生の研究室のお話、興味深く拝読しました。戦後になっても川島先生は研究生活を続けられ、栄養学の第一人者であられたのですね。貴重な思い出をありがとうございました。

 

 今日は、大正時代の1等主計(大尉相当官)の方の投稿をご紹介します。リアルな歩兵聯隊の話です。

 

 

「偕行社記事」を読む楽しみ

 

 陸軍将校の親睦・研究団体として偕行(かいこう)社があった。会員は陸軍将校であり、毎月、俸給の中から会費が引かれていた。その月刊の会誌が「偕行社記事」であり、それは貴重な陸軍史の生史料の宝庫になっている。防衛大学校図書館、防衛研修所図書館と、いまも元将校と退官した陸上自衛隊幹部が続けている「偕行会」の偕行文庫にも所蔵されている。

 

 戦術に関する論文や、戦史に関する投稿、外国の軍事情報など、そして厚生関係のことなども載せていた。おかげでわたしは教育総監部の永田鐵山(ながた・てつざん)歩兵大尉や、参謀本部の本間雅春(ほんま・まさはる)歩兵大尉たちと知り合うことができた。永田大尉は学校配属現役将校制度に不満と危惧をもらしていたし、本間大尉は学校体育に軍隊教育の要素を取り入れようという提案をしていた。大正時代(1912〜1926年)の末頃である。

 

 時は過ぎて、永田大尉は陸軍省軍務局長となり、悲運にも狂信的な皇道派将校の凶刃に倒れた。永田大尉はいつの間にやら「統制派」の中心人物と目されて、ついにテロの犠牲になってしまった。死亡時は少将、亡くなられて中将に昇進した。

 

 本間大尉は陸軍中将に栄進し、大東亜戦争開戦時にはフィリピン攻略の第14軍司令官となった。マッカーサーを海に追い落とし、コレヒドール要塞を攻略した。幼年学校を出ていない陸士19期生中の俊才だった。日露戦争での初級将校のあまりにも大きかった損耗に驚いた陸軍は、幼年学校卒業生だけでは将来に関わると考え、中学からの士官候補生を大量に採用した。本間大尉は駐英武官も務め、ロンドン生活も長かった。一般の学校教育にも関心が高かったのも、そうした経歴からだったかもしれない。

 

 そして、本間は不運なことに戦後になって戦争犯罪で処刑されてしまった。いわゆる「バターンの死の行進」の責任を問われたのだ。蘭領ジャワ(現インドネシア)を平定した今村均やシンガポール攻略の山下奉文はどちらも大将になった。ただ一人、本間だけはその戦闘指揮ぶりが問題とされた。中将で予備役編入になり、敗戦後には勝者による復讐裁判によって死刑を与えられてしまった。

 

 それぞれがそうした運命をたどるなど、論文の執筆当時は考えたこともなかっただろう。2人とも陸大を優等(本間は陸大27期恩賜、永田は23期の同じく恩賜)で卒業し、希望に燃えて勤務していた頃にちがいない。はつらつとした歯切れの良い文章を書く永田、ユーモアも感じさせる優しい語り口の本間、いずれも当時の陸軍の俊才を思わせる。

 

「偕行社記事」はまさに同時性を感じさせられる。これから歩兵第46聯隊付の高級主計の投稿文を紹介してみよう。なお、原文の雰囲気を損なわないようにしながら現代語に近づけておく。また漢字も新しいものにしたことをお断りしておく。

 

 原文はある歩兵大尉との問答集になっている。経理官は「經」、兵科将校は「將」であるが、経理官は○、兵科将校は●で表すことにする。

 

軍隊経理に関する問答・陸軍1等主計佐伯正一

 

● 暖房用の石炭は不足がちだが、これは我慢するとして兵舎の電灯はもう少し明るいものに替えられないかな。
○ そのことは目下研究中だが、なにぶん、多額でもない消耗品の定額の中から、1年で1200円、1300円の電灯料金を支払っている状態のものだから・・・。

 

 佐伯1等主計は歩兵第46聯隊付の高級主計だった。この聯隊は久留米に司令部を置く第12師団の歩兵第24旅団(司令部久留米)に属し、長崎県大村に駐屯する聯隊である。第12師団は日露戦争後には小倉に司令部があり、当時第46聯隊も第18師団(久留米)の隷下で歩兵第23旅団(大村)の1個の聯隊だった。それが大正の軍縮で第18師団は廃止され、改めて久留米の48聯隊といっしょに第12師団隷下となったのである。

 

 したがって、この時期、第12師団は福岡に司令部を置く歩兵第12旅団(小倉の歩兵14、福岡の歩兵24)と久留米の歩兵第24旅団(歩兵46は大村に、歩兵48は2個大隊が久留米に、1個大隊は佐賀)の4個歩兵聯隊、騎兵第12聯隊、野砲兵第24聯隊、工兵と輜重兵のそれぞれ第18大隊(いずれも久留米)で編成されていた。この他に師団隷下として、野戦重砲兵第2旅団(小倉に司令部があり、野戦重砲兵第5と第6聯隊)と下関重砲兵聯隊、佐世保重砲兵大隊、鶏知(けち・対馬)重砲兵大隊、そして福岡県大刀洗に飛行第4大隊をもっていた。

 

 佐伯主計は聯隊に3人いる経理官のトップである。これを高級主計という地位名称で呼ぶ。ふだんは聯隊本部経理室で勤務し、聯隊の経理委員も務めている。歩兵聯隊は3個大隊、中隊は第1大隊第1中隊から第3大隊第12中隊と機関銃中隊だが、この時代は第4、第8、第12中隊は欠番になっている。大正軍縮のおかげだった。合計10個中隊である。

 

 1個小銃中隊は兵卒100名(2年制だから各年次50名ずつ)と下士10〜15名、准士官・将校が5〜7名ほどだった。したがって全聯隊では兵科の下士兵卒が1100名ほど、聯隊本部に勤務する兵卒や軍医、衛生部下士・兵卒、経理部下士、獣医士官、獣医部下士などを入れて、およそ1200名とみていいだろう。

 

 1年間の電灯代金が1200円だとすると、正確な比較はできないが、1円が6000円ほどの使いでがあったとみて、現在の700万円くらいと考えられる。

 

委任経理の運用問題

 

● いつか将校集会所での講話で、経理規定の改正があって、委任経理の積立金は一本化されて、あれこれと流用ができるようになったと説明されたが。つまり、兵室を明るくすることも一種の給養だから、一本化されたのだから糧食の予算からもってくるとか、被服の方からもってくるとかして、聯隊長かぎりの権限で適当に運用しても問題はないんじゃないかな。
○ それは法規上からいえば、さしつかえないことだけど、当隊の現状を話さないと分からないことがある。君がいまいった被服というのも、当隊の財産は師団内歩兵隊中第4位で、各兵科部隊の中では第13位になっている。だから被服費をよそへ回すとは現実的じゃない。それに陣営具も定額の大部分は修理の方に回していて、新調したり補足したりは積立金の利子でやろうというのが全体方針だから、これも他に回せない。次には馬匹費の定額だけど、歩兵隊の馬はわずか30頭内外で、きわめて少ない経費だから、これは問題にならない。

 

 陣営具というのは野戦で使う天幕や擬装用の網、その他野外炊事具などもある。歩兵隊の馬の定数だが、平時は乗馬本分者とは佐官以上だし、機関銃中隊の輓馬(ばんば)、聯隊本部の資材などの駄馬だけでかなり少ない。

 

○ いまこれで残っているのは糧食費だが、これは賄料(まかないりょう・副食や調味料、嗜好品など)だけでも年額で約12万円になる。これに現品で交付される米麦を金額に換算すると、1年間でゆうに20万円を超えるから、この中からちょっとでも電灯の方に回したらという君の意見ももっともだ。しかし、当地、大村の物価は久留米に比べると一般に少し高くなっている。もっとも、師団経理部長の指定で久留米は1日賄料が19銭で当地は19銭4厘となっているが、営内者は実に不利な立場にある。

 

 歩兵聯隊の賄料は1200名で12万円だという。1人あたり100円ということだ。さっきの換算に従えば、年間で現在価格60万円。1日あたり1600円、ただし、これには暖房費や光熱費、薪や風呂の費用も入っている。米麦が12億円。徴兵制もお金がかかることがよく分かる。1日の賄料が19銭4厘、これは6000円×0.194=1164円ということになる。

 

○主食の定量6合で、米と麦は7対3の割合で・・・これに賄料を減らして電灯に振り当てるということも直ちに実行はできない。ざっとこんなところだから、将校以下一般にも理解してもらわなければ困る。でも、何とかして今少し室内を明るくしようというと、それだけでなく被服も今少し程度をよくしよう、甘い物も食わせてやろうという努力は僕も決してしないというわけではない。これは衣食住に関わるわれわれ経理委員や、経理官の重要な責務だと信じている。

 

 当時、被服は一番予算のしわよせがきたところらしい。兵隊用語でいえば、新品の被服は一装(いっそう)といった。これは動員がかかって、戦地に出征するときの晴れの衣装だった。ふだんの儀式や外出、衛兵勤務などは二装の乙を着る。二装の甲はほぼ新品のようなもので、天皇や皇族の送迎や特別な儀式のときに着た。日常や演習で使ったものは三装といわれたボロボロのものだった。もちろん、針と糸を使って、当て布などで修理もしている。ふつうの修理ではどうにもならない物は、聯隊内の縫工場で縫工兵が修理していた。階級章もふだんは付けていなかった写真なども残っている(この装の区分やランクは部隊によっても違ったらしい)。

 

 ある聯隊長などは被服の損耗を嫌って、夏の間には服を着せずに兵舎内では裸でいることを兵卒に強制したらしい。そんな話も伝えられるほど、大正軍縮期の陸軍は貧乏だったらしい。

 

経理について

 

● 僕らは士官学校で経理に関してはその大筋は習った。だけど、その当時はただ無味乾燥なものに思えて居眠り半分に聞いていた。おかげで今では、経理というものが頭にはほとんど残っていない。まず、経理の意味について尋ねたいけれど、これを教程にあるようにむつかしく言わないで、ごく簡単に説明してはくれないか。

 

 まったく正直に兵科将校の感覚、気持ちを表しているだろう。まだ18、9歳の士官学校の生徒が、社会の仕組みと大きく関わるカネの話など、なんの関心もなかったことだろう。「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)」などという言葉もあった。この喩えの意味はもちろん、やせ我慢ということもあるが、軍人たる者が食物やひいては金銭などに関心をもつものではないといった気分である。佐伯主計はそうした兵科将校に根気よく説明をしようというわけだ。

 

○ 経理という言葉を広く使うと「行政」になる。しかし普通に軍隊で経理部、経理官、経理事務というように使われている経理という言葉は、そんなに広い意味ではない。これは会計経理のことで、陸軍に必要な品物を買いこんだり、これを保存整理したり、また規則に従って人馬に金銭や物品を支給したりすることを言っているのだ。
● 意味はだいたい分かった。これを定義的に言えるかな。
○ それでは、こう言ったらどうかな。「金銭衣食住に関する事項を処理すること」。これでまあ、だいたい誤りではない。
● なるほどなあ。では軍隊経理とはどういうことかな。
○ 軍隊経理とは師団以下の経理をそう言うが、主として聯隊経理を意味しているのだ。
● 次は「委任経理」の意味を定義的にいえるだろうか。もっとも今日の話題の始まりは委任経理のことで、僕もたいがいの観念は得ていると思うが。
○ 委任経理とは、ご承知の通り、定まった金額や定まった分量・・・米麦のように・・・を隊長に渡して、その使い方をまったくその隊長にお任せするというやり方で、余った金や、あるいは各種の廃品、空き箱、空き缶詰、残飯などを民間に払い下げた時には、その金は積立金として隊にもっている。その金も、今度はまた委任経理の費用に出して使うということさ。だからこれを簡明に言い表すと「聯隊長の請負給養制」といっても間違いではない。
● それでは、経理に関する全責任は隊長にあるわけだな。
○ まったくそのとおりだ。

 

委任経理の使命

 

● そうであると、聯隊長の責任がひどく過重になりはしないか。というのは、聯隊長の職責は軍隊内務書にたくさん列記してあるが、その他に経理の全責任を聯隊長に委任するなんて、実にひどいように思われる。そうではないかな。海軍のようには行かないのかい。
○ いや、海軍と比較するような根本問題になると、とても僕にはよく分からない。でも、とにかくこの制度は、経済的に軍備を維持し、軍人には欠乏しがちな経理上の思想観念というものが、よほどよくこの制度のために養成されるといった結果をもたらしていないだろうか。ますます、この制度の完全な助長をする必要がある。

 

 海軍のようにというのが興味深い。海軍は各鎮守府(呉、横須賀、舞鶴、佐世保)に軍需部というセクションがあって、そこで調達した物資を艦船部隊に支給した。食糧費なども一括して艦船や部隊の主計長(主計士官)に渡して、その用途などの責任を艦長や部隊長は負っていなかった。

 

 次回はさらに武士道と経理思想などを佐伯主計は語っている。

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(2018年(平成30年)3月7日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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