軍隊と学校(2)―予備員教育と学校(2)

荒木肇さんの最新刊

脚気と軍隊

森鴎外は無能な軍医だったのか?
日本軍の脚気問題は現代日本の縮図!
知られざる脚気問題の苦難と栄光の歴史が、ここに明らかに!!
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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はじめに

 

 東京都議会選挙が終わりました。いやはや、小池さんもちょっと舞い上がっていたのか、あまりにずれたご発言に驚きました。テレビの番組に生出演された時のことです。正確ではありませんが、ご発言は以下のようなものです。

 

『今度の選挙で当選したファーストの議員さんたちの中にはね、東大が7人、京大さんが3人もいるのよ〜。他にも専門家ばかり、弁護士、医師、公認会計士なんていう方々ばっかり。都の役人たちも議員をバカにしていたけど、今度は緊張するわよ〜(笑)』

 

 と、わたしは聴き取りました。おっ、だれか突っ込めよと思ったのですが、スタジオ中から誰も発言者なし。その後も、たいした話題になりませんでした。わたしは小池さんていう人は学歴が好きなのだろうな〜、そして資格をもっていれば立派な見識を誰でももっているんだと信じているのだと、今さらながら過去の遺物(失礼)を目の当たりにしました。

 

 都民ファーストの会、あるいは小池さんを支持した人も同じような感覚をもっているのだろうかと、いささか憮然とした思いをもちました。威張っている都の役人たちに水戸黄門の印籠みたいに、「どなたと心得おるか。こちらはお東大を出られた弁護士様だぞ〜」などと見せつけて、巣食った悪をとことんやっつける痛快さを楽しみにしているのでしょうか。

 

 あるいは、これまでの自民党議員をはじめ多くは有名大卒の学歴がないから役人にバカにされてきたと考えていらっしゃるのか。だとしたら落選された議員にはお気の毒ですが、ずいぶん踏んだり、蹴ったりの話ではありませんか。

 

 公職選挙法違反だなどと失言を追及されている防衛大臣もたしか弁護士のご出身。いまは風前の灯と化してきた民進党の有名な方々もずいぶん有名大学出で法曹資格をお持ちの方が多いようですが。彼女の得意満面の表情の中に、あの異様な「専門家」重視、高学歴コンプレックスを見たのは私だけでしょうか。

 

HY様へお礼

 

 ありがとうございます。たいへん興味深いご指摘をありがとうございました。おっしゃる通り、体力の錬成は兵士としてだけではなく、人として重要なことです。だからこそ体育という教科があり、正式には保健体育ともいわれます。ご指摘通り、武士と庶民には体格も姿勢も、体力までも大きな差があり、士族だけで軍を構成しようとした人たちの気持ちもわかります。

 

 また、アメリカの空挺部隊の活躍を描いた『バンドオブブラザーズ』の撮影の裏話で、当時の装具や被服が、みな現在の俳優さんの体格に合わない。昔の人は小さかったのだと裏方が話していました。体位の向上は食餌や社会、生育環境で異なってくるものだと思いました。これからもよろしくご愛読、お願いいたします。

 

 

新しい学校

 

『邑(むら)に不学の家なく…』と書かれた明治5(1872)年8月3日に「学制」が公布された。列強の外圧に屈せず、国家的独立を達成したい。そう考えればこその国民的統一の必要性に強く迫られたなかで、国民経済も創出しなければならない。そこで「学制」をきちんと読んでみると、たいへん興味深い事実がある。

 

 序文にあたる太政官布告は、まさに福沢諭吉の『学問のすすめ』の思想にやたら似ている。封建的な考え方や教育の内容を否定し、立身出世、治産昌業(ちさんしょうぎょう)、つまり実学を奨励し、個人主義的功利的個人主義と国民皆学の強調である。いまにつながる私たちの進学熱や実業家礼賛、公的な価値への軽視、軽い国家観などすべてがここから始まったといっていい。

 

 この学制の教育行政組織はフランスに、学校教育体系と教育内容はアメリカに倣ったといわれている。全体は学区のこと、学校について、生徒の試業(進級や卒業に関するテスト)、海外留学生規則や学費などの6篇109章にわたっていた。翌6年の3月には海外留学生規則と神官僧侶学校に関する2篇、4月には貸費生規則、さらに専門学校の規程と学科準則の2篇が追加されて、全文では213章になった。

 

 いささか面倒でもあろうが、現在の様子と比べてみるのも興味もあろうかとおおよそを解説しておく。まず、学校体系はアメリカ式に大学・中学・小学の単線型をとる。この形は今も残るシステムである。全国を8つの大学区に分ける。気が付かれた方は年配の方だろうが、昔、帝国大学を「8帝大」といった。ここから来ている。次に中学区は32に分ける。それを210の小学区に分けた。つまり中学校は全国に256校、小学校は5万3760校である。管理する機構は、頂点が文部省、大学区本部には「督学局」を設け、各中学区には「学区取締」を置き、小学校もあわせて統制下においた。

 

 まず小学校の設置から始めなければならなかった。また、正規の教員を養成するために師範学校も設立することになる。学校はそれぞれの村々に大きな寺があったり、篤志家が寄付したりすればスムースに場所の確保はできた。問題は師範学校だったが、人的な問題は案外、簡単だった。職を失った士族層の若者が多く、師範学校で学ぼうとしたからだ。幕末に生まれた陸軍将校たちは、まず正規の学校歴を師範学校から始めた人たちが多い。

 

 陸士旧3期の秋山好古大将は1859年生まれ、松山から1875(明治8)年に大阪に出て官立師範学校を卒業した。すぐに愛知県3等訓導になり、名古屋師範附属小学校に赴任した。陸士入学は77年のことだった。同期の本郷房太郎は1860年に丹波篠山に生まれて豊岡県師範学校に入り、そこを中退して陸士に進んだ。旧5期の松川敏胤はやはり1859年に宮城県仙台に生まれ、小学校訓導の経歴がある。士官候補生1期の鈴木壮六大将(1865年生まれ)も小学校の助教から1881(明治14)年に新潟県師範学校を出て、小学校訓導勤務の後に陸軍教導団、そこから陸士に入った。旧8期の田中義一も師範出ではないが、小学校の代用訓導経験がある。

 

 小学校数は1873(明治6)年には1万2000あまり、明治8年になると倍増の2万4303校と急増した。うち公立が2万2066校、私立は2237校である。就学児童数も当局からの督促もあり、うなぎ上りに増えていった。児童数は男子約193万人、女子が同46万4000人という数字が残っている。ただし、この当時の小学校は依然として江戸時代来の「寺子屋」とほぼ同じで、決して現在のイメージから測れるようなものではなかった。

 

 対して師範学校は、同じく明治8年、男生徒7589名、女生徒107名の合計7696名とあり、はなはだ心もとない数でしかなかった。学校の総数は90校とある。教員は585名だから1校あたり6〜7名、それが80〜90名ほどの生徒を教えている。もちろん教科内容は広く、いまと学科目もあまり変わりはない。そこに大きな問題があったのだが、教科書はアメリカのそれの翻訳、しかも子供たちの生活実態から遠く離れていたものだったから庶民が学校を大切に思うことはなかった。

 

 師範学校は当初、東京に1校が置かれ、その卒業生は全国に散った。モデルはアメリカの師範学校である。教科書、教材、教具ともにすべてアメリカからの輸入品だった。興味深いことに授業は正科と余科に分かれ、米人スコットは授業法を主とした正科を教えた。英語と算術は正科だった。余科は物理、化学、国語、漢文などである。第1回卒業生はわずかに10人、各県の師範学校に教員として赴任していった。

 

 師範卒業生の正規教員が不足するので、明治6年8月には大阪と仙台、翌年2月には名古屋、広島、長崎、新潟にそれぞれ官立(今でいう国立)師範学校ができる。これは各大学区本部の所在地に1校ずつ設置されたものである。前に述べた秋山が、父親から師範学校というものが今度大阪にできるから、そこへ入学する申請書を出せといわれるシーンが『坂の上の雲』にあった。

 

庶民なんか兵隊に使えるか

 

 徴兵令が出されるまで、それに関する議論、論戦は当時、ずいぶん華やかだった。姿勢も悪く、前かがみであり、脚も真っすぐ伸ばせない多くの庶民。身体も固く、静的筋肉(同じ姿勢を長く保つ筋肉)が弱く、すぐにしゃがみ込む庶民を見て、あんなのが兵士になれるかと士族あがりの軍人たちは思った。それなら各藩がもっている常備軍(志願兵の意味の「壮兵」とのちに言われた)から選抜すればいいと考えたのだろう。

 

 しかし、幕末の洋式軍隊の指揮官の経験がある者たちは違った。幕府陸軍も徴募から数か月の猛烈な訓練で、各個教練から始まり団体行動訓練までをこなした。そして、実戦場裡では大隊戦闘行動ができ、ついには2個大隊で1個聯隊の整然とした軍隊行動をとれるまでにした経験がある。同じことが長州藩の奇兵隊を代表とする庶民で編成された「諸隊」の伝統があった。長州藩系の軍人が徴兵派で、薩摩系の軍人が壮兵派であった対立のルーツは幕末に庶民軍をもったかどうかだったのだろう。

 

 徳川家の沼津兵学校は明治元(1868)年12月、移封された静岡藩(徳川家)に創設された旧幕臣による洋式兵学を教える学校である。はじめ徳川家兵学校といわれたが、のちに明治3年、沼津兵学校となった。廃藩置県後は兵部省に移管され、5年には東京の兵学寮に吸収された。校長は西周(にし・あまね、元幕臣、わが国哲学の祖)であり、新しい時代の藩行政担当者と自藩の軍事的近代化の指導者を養成する学校だった。ここでは併設された附属小学校とともに生徒に洋式体操を教えていた。

 

 小学校の学科は素読(漢文を読む)、手習(習字)、算術を主として、地理、体操(乗馬・剣術)、水練(水泳)を教え、歴史は講釈時間を設けていた。入学年齢は7歳から8歳程度とされ、いずれ兵学校に進学するとされた。入学資格にはとくに士族である必要はなかったが、一般からは遠い存在だったようだ。それが破綻したのが廃藩置県だった。この小学校も公立に変革を余儀なくされた。

 

軍隊以外の学校で盛んだった体操

 

 大学南校(なんこう)というエリート養成学校があった。もとは、幕府の「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」であり、幕末の翻訳文化の中心であり、幕府エリートの集まった学校である。明治維新後は「開成学校」となったが、明治2年12月に「南校」と言われるようになった。普通・専門の2科制で、専門は法科・理科・文科に分かれた。明治10年には医学校と合併して東京大学になった。

 

 この学生たちは明治5(1872)年から体操が指導された。その指導者は先に述べた沼津兵学校附属小学校の体操教師が含まれていた。『健全な精神は健全な肉体に宿る』というのはアメリカから来た言葉のようだが、アメリカ・フランスの流れを汲むわが国の学校である。何であれ、欧米にあるものなら何でも取り入れようという時代だった。

 

 すごいのは工部省所管の工部大学校(のちの東京大学工科大学)で、明治6年には、「保健上陸軍歩兵操練」の実施を検討した。そして、実際に柔軟体操、隊列運動、器械体操まで行なっている。

 

 文部省はどうかというと、明治7年にはフランスの学校体操の手引書で、軍隊様式の体操を中味とした『体操書』を出版した。この頃、陸軍がようやく『體操教範』を出した年である。同じ年には長崎県でも師範学校が「体術及小隊運動」を実施したし、現在の長野県の一地方の筑摩県でも「体操及歩法」、「器械ノ体操ヲモ」実施したとある。

 

 別に軍事知識や軍隊に親しませようというわけではない。工部大学校でも、「あくまでも保健上」だというし、次の『小学入門便覧(明治8年)』でも次の通りの解説をしている。現代語に直し、カタカナもひらがなにした。

 

「体操というのは教室中にこもった鬱気(うつき)を散らすときに有効な手だてである。新しい空気を吸って、精心を養うことを目的とする。無知で無学な連中は、兵隊の下ごしらえをしているのだなどと悪口をいうが、まったく間違っている」

 

 明治11(1878)年には文部省は体操伝習所を置いた。保健目的の軽体操を導入しようというものだった。その理由は次の通り。

 

「これまで府県の学校では体操科を教えてきたが、多くは軍隊式の体操であり、生徒たちの体力を養い、心気を旺盛にして学業を進歩させようということではまだ不十分である」

 

 また、次の通り「武技」の目的と体操は違うという。

 

「おおよそ撃剣(いまでいう剣道のこと)のような練兵のような技術は、決して無駄とは言えないが、その目的はもともと体力育成ではなく、身体防護の術である」

 

 だから、学校では体育への見方を変えよという。

 

 そして、軍では入隊兵の「知的理解力」を多く学校に期待したが、学校での軍事訓練などまるで当てにしていなかった。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(2017年(平成29年)7月12日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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