鉄道と軍隊(22)─鉄道聯隊

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脚気と軍隊

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経済制裁と日本

 

 わが国がアメリカへ直接の激しい戦意を燃やし始めたのは、1941(昭和16)年8月のことだと思われる。いまもアメリカが対テロなどで実行する経済制裁である。アメリカは支那から日本の軍事力を引き下げるために、石油輸出禁止令を出したのだ。ルーズベルト大統領は敢然とこれを実行した。石油がなくては軍艦も戦車もトラックも動けない。航空機は飛べないし、製鉄業界もたいへん困った。

 

 支那事変が1937(昭和12)年7月に始まってから、すでに国民生活も石油の消費にはたいへん気を使わざるを得なくなっていた。それこそ事変は泥沼化し、この上、石油を止められてはアメリカの要求を容れて兵力の撤退を考えてもとても実行できない。そうまで追いつめられたら、開戦やむなしという意見が出ても仕方がなかった。

 

 1938(昭和13)年4月には陸上交通事業調整法が出された。新規のバス・トラックなどの事業展開や拡大は認可されなかった。燃料もガソリンや軽油ではなく、アルコールの混用を進めたり、代用燃料とされる薪や炭を動力の元としたりするようになった。いわゆる木炭ガスを使ったバスやトラックの運用である。自動車を運転するためには車体後部の釜に木炭や薪をくべた。それに点火して出る気体をエンジンに入れて動かした。出力の低下などひどいものだった。坂を登れないという事態がしばしば起きた。

 

 石炭だけは国内で生産できたから鉄道は蒸気機関車が大活躍した。その代わりにガソリンで動いた気動車は廃止された。また、不急不要だとされた路線は廃止が続いた。

 

戦前の国力

 

 鉄道を作ると鉄を大量に消費してしまう。標準レールは1メートルあたり30キログラムであり、10キロの線路を敷けば600トンの鋼材が必要となる。それに線路と枕木をとめる犬釘もあるし、付帯設備にも大量に鋼材を使うことになる。このころ、わが国の鋼材は年間で220万トンの不足をきたすという予想も出された。鉄道は線路ばかりか鉄橋やトンネル、駅や機関庫、燃料・水の整備機構、機関車や客貨車などにも大量の鉄を使うのでなかなか戦時だからと優先されたわけではなかった。

 

 ちなみに『国防の台所観』という陸軍省軍事課資材班の内部文書があった。(『戦史叢書33号附録』)そこからの孫引きだが、当時の国力を見ておこう。13年度の数字である。鋼材軍需配当だけの実績として、64万トンが陸軍、53万トンが海軍、合計で117万トンになる。これは総供給額の489万トンからみれば24%になる。陸海軍の要求はそれぞれ増えていく。

 

 配当を担当する企画院からすれば軍需を抑え、生産力拡大の方に回して国力を増そうとしたが軍の要求は次々と拡大し、とうとうじり貧になっていった。開戦の年、昭和16年には軍需219万トンと、総供給量430万トンに対して、とうとう51%にもなり、民需と拮抗するようになってしまった。アメリカはどうかといえば6500万トンである。ソ連も1800万トンである。

 

 石油に関するデータもある。当時の世界最大の産油国はアメリカだった。年産で1億9050万キロリットルで世界総生産の63.5%を占めていた。中近東は4200万キロであり、14%だった。ソ連は3200万キロ、11%である。対してわが国はわずか30万キロ、世界の中では0.1%というお寒い状況だった。

 

 頼みの石炭はどうだったか、わが国の5700万トンに比べ、アメリカは4億800万トン、ソ連が1億4500万トンである。

 

 さらに「国防の台所観」を読み続けよう。昭和15年7月7日付である。火砲は年産2000門である。官では大阪造兵廠、民では日本製鋼、神戸製鋼などを中心に官民の生産比率35対65という実績になる。現在の保有量は2万1000門で、将来は年1万門は造らねば補給率50%が維持できない。15糎カノン以上の重砲は現在150門ほどを保有しているが、その製造能力は年に5門くらいしかない。15糎カノンは生産に8カ月、24糎榴弾砲は18カ月もかかっている。これを強化しなくてはならない。

 

 砲弾は2000万発を年間に製造し、1日当たり6万発。17万発の爆弾を年に製造している。砲弾のうち3分の1は支那で射耗して、3分の2が備蓄されている。現在の保有量は1500万発であり、金額では4億円くらいになる。小銃や機関銃弾は月6000万発を製造している。支那との紛争以来、14年度までの弾薬製造に使った鋼材は約50万トンであり、新しい戦争では100万トンを必要とするだろう。

 

 こうした状況が戦う日本の前提にはあった。

 

鉄道聯隊

 

 第1、第2の鉄道聯隊が千葉県にあった。1934(昭和9)年には満洲のハルピンに鉄道第3聯隊が開設された。装甲列車隊をもち、列車砲も装備した対ソ連戦用の部隊である。ところが実際の戦闘は
中国本土で行なわれた。

 

 鉄道聯隊の指揮官は鉄道監(陸軍少将)といわれた。第3聯隊は支那事変が勃発すると、装甲列車隊が天津に進出して、敵陣地の砲撃や物資輸送に活躍した。やがて内地から津田沼の第2聯隊が
やってきた。千葉の第1聯隊は上海や南京付近で鉄道の修理、復旧、輸送にあたっていた。鉄道聯隊の戦時定員は2519名だった。聯隊本部には軍医や経理部将校などのスタッフがいて69名、資材などをもつ材料廠は194名、実働部隊は3個大隊6個中隊であり、各中隊は268名である。これに大隊本部員がつき、1個大隊は564名だった。

 

 8月の中旬になると広島から動員された第5師団がやってきた。朝鮮半島経由で天津までやってきた部隊は北京の北西50キロメートルのところにある八達嶺に作戦行動を始める。八達嶺は万里の長城が走る山である。トンネルがあった。その線路を使って補給を行なう予定だった。ところが、トンネルはなんと機関車6輛によってふさがれていたのである。撤退する中国軍はトンネルの両方の入り口からそれぞれ機関車を無人で走らせ衝突させていた。現場はすごい状態だった。機関車は1輛が150トンもある大型である。それが高速で衝突したためにトンネル内部もむちゃくちゃに壊されていた。

 

 鉄道省の技師は完全復旧まで6カ月がかかると言う。満鉄から呼ばれた技術屋も半分の3カ月でなんとかなると答えた。鉄道監は聯隊長を呼び、見通しを聞いてみた。第5師団の作戦に間に合わせる
という要求からみて1カ月以内にできないかという相談でもある。聯隊長は作業の実際の責任者の大隊長と話し合ってみると答えた。大隊長は2週間でやり遂げられるという。実際、トンネルはほぼ2週間で復旧することとなった。

 

 考えてみれば、鉄道兵とは軍歌の工兵の部にもある通り、『敵の鉄道 打ちこわし・・・』という兵科だった。戦時であり、線路の破壊、修理、復旧は専門家であり、平時に暮らす技術者たちの考える基準とはまったく異なっている。平時の技術者や土工たちとは発想も行動も違って当然である。装甲列車は走り、騎銃で武装した鉄道兵たちは立派に輸送任務もこなしてしまった。

 

 9月になると天津に集合した師団各部隊の指向する方面は北京から南西方向になっていた。およそ200キロの距離にある保定付近に前進する。ところがその方向には永定河を中心にして支流の多くも流れている土地が多い。大雨で河川は増水し、列車の前途はすっかり阻まれてしまった。鉄道輸送を管理する兵站の将校が列車に乗っている部隊を降ろそうとしても指揮官が納得しない。乗車している人員が降りてくれなくては列車の回送計画にも支障が出る。そういう事態が各地で起きていた。

 

 1938(昭和13)年6月のことだった。黄河の堤防を中国軍が破壊した。偵察機が空から見ても田畑も部落もすべて泥水に埋まっている。第14師団、第16師団は水に囲まれて補給もろくに受けられないという苦境に陥った。第14師団は工兵が折りたたみ舟で救出し、第16師団は爆撃機などにより物資が届けられた。中国での鉄道部隊の行動は、まさに水と鉄道を破壊していく敵との戦いだった。

 

 逃げ遅れた中国軍から多くの鉄道資材や機関車、客貨車が捕獲された。それを集めて、鉄道第5、第6聯隊が編成された。第4聯隊は満洲の牡丹江ですでに編成が完結していたが、こちらは対ソ連戦用に用意された部隊だったので中国に送られる事はなかった。

 

 約250輌もの機関車が海を渡った。貨物用機関車の9600型である。大正時代に生まれた2D(前輪が1軸、動輪が4つ)の強力機関車だった。もともとすぐに広軌にも使えるように余裕があった設計だったので容易に1435ミリに改軌して大陸の鉄道を走ることができた。小型のタンク式機関車のC12もおよそ70輌が北支那を走った。これにテンダー(炭水車)をつけたC56型の機関車も100輌近くが海外に送られた。

 

大東亜戦争の開始

 

 案外知られていない事実だが英米蘭を相手とした大東亜戦争はハワイ空襲から始まったわけではない。その1時間近く前にマレー半島に上陸をしたのが最初の戦闘行動だった。英国領だったコタバルとその北方のタイ国シンゴラに上陸したのは第23軍である。軍司令官はのちに「マレーの虎」と新聞が名付けた山下奉文中将だった。鉄道がある半島の西岸を南下したのが第5師団である。各師団には持ち味があって、瀬戸内海に面した地域の出身者が多かったこの広島の第5師団は敵前上陸などによく使われた。

 

 英国領に入って300キロ近くにベラク河がある。毎週1便、シンゴラとシンガポールを結ぶ列車が走っていた。この列車が上陸日にはシンゴラ駅に停車中であることを第25軍はつかんでいた。シンゴラに上陸した1個歩兵大隊をこの列車に乗せてベラク河に突進させる計画を立てていたのだ。橋を無事に占領する。これに使われたのが鉄道第9聯隊の2個中隊だった。これを鉄道突進隊と言っていた。

 

 この計画はうまくいかなかった。タイの領土であったためにタイ国官憲との交渉に手間取っているうちに多くの橋が破壊されてしまった。鉄道第9聯隊はそれらを修復しながら戦闘部隊の輸送に努めた。

 

 およそ1週間が経ち、近衛師団がベトナムのハノイから列車でマレーに到着した。これを支援したのが鉄道第5聯隊だった。装甲軌道車も使って破壊された箇所を調べたり、偵察行動にも従ったりした。敵の攻撃を受けて戦死者も出すようなこともあった。マレー半島で戦ったのは上記の2つの聯隊の他に、特設第4と同第5の特設鉄道隊と鉄道材料廠だった。停車場司令部も置かれた。この司令部は軍需輸送の統制、事務連絡、関係機関との協議などを行った。マレーの鉄道部隊は服部第二鉄道監の隷下になった。この服部中将はのちに南方軍鉄道隊司令官になる。 次回は制度面から見た鉄道部隊の説明から入ろう。

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

(2017年(平成29年)1月25日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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