鉄道と軍隊(12)─丹那トンネル─

荒木肇さんの最新刊

日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想

「きわめて人間臭い、戦場の実相の一部が目の当たりに浮かぶような気がしました」(元自衛官)
「兵器装備というのは、予想戦場、兵士の知的水準、兵站補給、技術工業水準、その他もろもろの要素が絡み合って開発される・・・といった常識がとてもよく理解できました」(経済人)
日本の技術者はどんな兵器を開発し、兵士たちはどんな訓練を受け、戦ったのか?
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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丹那トンネル

 

 1918(大正7)年、国鉄は770万円の予算で工事完成まで7年という見込みで丹那トンネルの掘削を始めた。ところが工事費は予算の約3倍の2600万円、工期は2倍半の正味16年間がかかった。完成は1934(昭和9)年の末になった。

 

 鉄道建設のような大型工事は、企画されてから実際に工事に着手するまで相当の年月を必要とする。この丹那トンネルもまた、1908(明治41)年に東海道線の箱根越えをやめて、国府津から小田原、熱海を経由する路線の調査を始めてから、着手まで11年間がかかった。ルートの調査を命じたのは有名な後藤新平である。

 

 およそ調査費は工費の1割程度は調査費を要する。工費も最初の予算よりたいていが大きく増えてしまう。また、長い工事期間のうちに用地費や、実際の工費が増えてしまい、想定外のトラブルに出遭うこともある。

 

丹那トンネルの大障害

 

 1921(大正10)年、熱海口から990呎(およそ270メートル)のところで大崩壊が起きた。33名の作業員が埋まり、完全に閉塞されてしまった。4月1日午後4時20分のことである。責任者は鉄道技師・富田保一郎という山間鉄道建設の第一人者といわれた人だった。関係者は非常呼集で集められ、ただちに救助坑が3本掘られた。この日は休日だったので、坑内の作業員は少なく、多くの仲間が救助にかかった。

 

 坑内は支保工(崩落を防ぐために内部に張る)の木材が折り重なっていた。また鉄材もへし曲り、酸素ガスでそれを切るとい作業も必要とされた。坑内には悪性のガスも発生し、死者の死臭もそれに混じった。気持ちは誰もが焦り、生存者の救出に全力をあげたが、救助坑は狭く、一時に130人くらいしか働くことはできなかった。

 

 救助坑は崩落の翌日から掘られ、2日目はわずかに2呎、3日目が15呎、4日目は25呎まで進み、6日目は47呎、7日目は62呎とあと一息のところまで近づいた。

 

 4月8日、午後9時20分、救助抗はついに現場に届いた。17名の人々が生存していた。

 

 生存者の中には現場のリーダーだった人がいたが、その人は克明な記録を残した。一部は公開されたが、当時の事務所長だった富田によって隠された部分があった。それは工事に対する疑問だった。

 

『複線1本といったこうした大型トンネルを掘るより、小型の単線2本を掘る方が安全でかつ、工事も楽で、しかも将来も事故が減るのではないか』という感想である。

 

 当時のマスコミは東京に近く、熱海という行楽地のそばで起きた事件だったから熱心な報道体制をしいた。なかでも事故について、「ずさんな計画」「無謀な工事」という批判キャンペーンを繰り広げていた。だから、この事故の被害者、当事者がこうした感想、意見を書いたということが明らかになると、世論全体が工事中止に傾くことになると心配された。手記は隠され、書いた当人は厳重に口止めをされた。

 

 埋没者の遺体が運び出された。16名の犠牲が出て、なかには女性もいた。事故の原因はトンネルの上部の堅い岩が薄く、その上に軟弱な地盤があったため、一気に崩落が起こったという。

 

第2の障害

 

 1924(大正13)年、今度は前回と反対側の西側三島方面函南口で事故が起こった。2月10日、午前9時20分である。入口から4950呎(約1500メートル)で大崩壊が起こった。生き埋めになったのは16名である。

 

 4450呎(同1360メートル)までは順調に工事が進み、その時に予兆があった。鉄製の支持工が曲がり始めた。そのとき断層に突き当たった。水の吹き出しが多くなった。そこで迂回坑を掘って前進に成功。後戻りして2本の導坑を貫通させた。

 

 しかし、この4950呎付近のわずか27呎(約8.2メートル)ばかりで、地質が悪く鉄の支持工を使い、鉄柱も立て、鉄の輪まで入れて補強したが、5回も土砂が噴出してきた。そこへおよそ600坪(2000平方メートル)の土砂が坑内にあふれた。おかげで水が坑内にあふれ、16名は溺死してしまったのである。

 

 土砂はさらに木材や岩石を押し流して、1250呎(約380メートル)にわたる地域を埋め尽くしてしまった。救助坑が掘られ、死体の収容には17日間がかかった。

 

 溺死体が出たのは2月27日だった。午前3時である。

 

 その後、1930(昭和5)年11月26日の北伊豆地震でも小さな崩壊が起きた。西の函南口から1万8000呎(約5500メートル)のところで5人が埋まった。
うち2人が救助された。

 

丹那盆地の渇水

 

 坑内には大湧水があった。軟らかい地質にセメントを注入し、薬液も打ち込んだ。圧搾空気も使った。しかし、もっとも大変だったのは地下水である。これに対しては水抜きの小型坑を掘って解決した。

 

 ところがトンネルの真上の丹那盆地ではすっかり地下水が出なくなった。政府はその補償も行なったが、この水抜きのトンネルを掘るといった工夫も、当初は誰も考えつかなかった。現在の丹那トンネルは旧丹那トンネルよりもやや上を掘り進んだ。大工事ではあったが、6年間で完成させた。水が少なかったことと技術の進歩である。

 

 丹那トンネルの完成は東海道線の全長を約12キロメートルも短くした。何より、上りの限界に近い1000分の25の急こう配が1000分の10と緩やかになった。国府津から御殿場まで7つのトンネルがあったが、昭和9年の末から明るい海を見ながら熱海まで列車は走るようになった・

 

 次回は昭和戦前期のトンネルを紹介しよう。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

(2016年(平成28年)8月31日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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