鉄道と軍隊

荒木肇さんの最新刊

脚気と軍隊

森鴎外は無能な軍医だったのか?
日本軍の脚気問題は現代日本の縮図!
知られざる脚気問題の苦難と栄光の歴史が、ここに明らかに!!
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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鉄道と軍隊記事一覧

鉄道と軍隊(1)

鉄道事始め─狭軌のくびき メートル法でいえば1067ミリ、わが国の鉄道の標準軌間(ゲージ)である。世界の標準は1435ミリで、わが国では新幹線や一部の私鉄ではそれを採用している。1067ミリというと半端な数だが、英国風にいえば3フィート6インチで、12インチで1フィートだから3.5フィートときまり...

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鉄道と軍隊(2)

鉄道の利用に注目した陸軍 1872(明治5)年に始まったわが国の鉄道は、欧米に比べればほぼ40年の差をつけられていた。このことは大きな危機感をもって受け止められたかというと、そうでもなかったと思わざるを得ない。なにぶん、何から何まで後発国である。産業も、社会の在り方もひどく違っていて明治維新政府も...

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鉄道と軍隊(3)

日露戦争を目指して ようやく手に入れた遼東半島をロシア・フランス・ドイツの3国による口出しで清国に返すことになった。油断も隙もないのが当時も今も国際的な力関係である。ロシアは清国に恩を着せて自分たちはしっかりと旅順と大連を手に入れた。この時の清を実質的に動かしていたのは李鴻章(り・こうしょう:182...

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鉄道と軍隊(4)

鉄道職員と機材の派遣 ロシア軍は撤収にあたって線路を壊し、車輛を持ち去っていった。乃木将軍の指揮する第3軍は要塞攻略の前に、この破壊された東清鉄道を復旧して大連港から長嶺子までの区間を使えるようにしていた。さらにそこから南西ほぼ10キロメートルまでトロッコレールを敷いた。攻城資材や銃砲弾などを運ぶた...

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鉄道と軍隊(5)

第4軍の輸送力不備のため遼陽会戦の構想を変える 日露戦争の経緯については途中でも軽く触れていきながら記述を進める。読者は遼陽、沙河、奉天の3大会戦や満洲軍の行動などについてはすでに知っておられるだろう。だから以下は私自身の再確認のためのメモである。 第1軍(黒木為もと(木へんに貞)大将)は近衛、第2...

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鉄道と軍隊(6)─我田引鉄

日露講和条約での鉄道問題 第1回講和会議(1908年8月10日)では外務大臣小村寿太郎はロシアがもっていた東清鉄道南満支線、すなわちハルピン(哈爾濱)より南の線路をすべて割譲せよという要求を出した。この他の日本側の条件は、(1)韓国からのロシアの撤退(2)満洲からの日露両国軍隊の撤兵(3)日本が遼東...

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鉄道と軍隊(7)

南満洲鉄道株式会社設立まで 満洲に固有の権益を手に入れることができた。とはいえ、確立した鉄道は東清鉄道南満支線とその付属線(野戦鉄道提理部がゲージを変えた)、安東・奉天間の安奉鉄道(陸軍臨時軍用鉄道監部鉄道大隊が建設)だけであり、奉天と新民屯の間の新奉鉄道は清国がすでに英国に敷設権を与えていたので日...

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鉄道と軍隊(8)─国有化の問題

鉄道国有化への動き 国鉄がなくなってずいぶん年月が経った。1987(昭和62)年に、長い歴史をもつ日本国有鉄道はいわゆる分割・民営化によって6つのJR旅客鉄道と1つのJR貨物鉄道になった。1872(明治5)年に鉄道が初めて東京(新橋)と横浜(桜木町)の間を走ってから、国が建設し運営する官設鉄道と私設...

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鉄道と軍隊(9)─狭軌か広軌かの争い─

狭軌採用は国土の狭さではなく、山が多く、資金がなかったこと いささか随想風な書き出しを許してもらいたい。 幼い頃だったか、「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」というポスターを見た。自動車があふれ出し、交通事故が増えた。その原因はとりわけスピードの出しすぎといわれていた時代のことだったか。 学校でも...

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鉄道と軍隊(10)─自動連結器への交換(1)─

連結器(カプラー) どこでも次の数字が使われている。1925(大正14)年、国鉄の連結手1810名、うち1年間の死傷者は537名にのぼった。29.7%である。およそ3人の1人が命を落とし、あるいはけがをする。どうしてそんなことがあったのか? 貨車でも客車でも、車両と車両の間に連結や解放(外す)のたび...

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鉄道と軍隊(11)─自動連結器への交換(2)─

ブレーキシステムのこと 島安次郎という天才ともいうべき鉄道技師がいた。大正末の自動連結器への交換を推進し、その恩恵をいまも私たちは受けている。島は和歌山県和歌山市出身で東大を出て、関西鉄道に入社、国に買収されるとそのまま官吏となった。満鉄筆頭理事などを経て、1925(大正14)年には鉄道車両製作の「...

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鉄道と軍隊(12)─丹那トンネル─

丹那トンネル 1918(大正7)年、国鉄は770万円の予算で工事完成まで7年という見込みで丹那トンネルの掘削を始めた。ところが工事費は予算の約3倍の2600万円、工期は2倍半の正味16年間がかかった。完成は1934(昭和9)年の末になった。 鉄道建設のような大型工事は、企画されてから実際に工事に着手...

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鉄道と軍隊(13)─トンネルの話─

戦前鉄道トンネルランキング 今もあるダイヤモンド社が1936(昭和11)年に発行した旅行ガイドの中に当時のトンネルランキングがあるという。これらのトンネルは大半が峠の下を貫通している。わが国のような山国では汽車の線路は等高線に沿って走る。川に沿い、山裾をめぐり、少しずつ高さを上げていった。それでもい...

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鉄道と軍隊(14)─弾丸列車計画と海底トンネル

弾丸列車計画 トンネルの話題から関門海底トンネル、つづいて朝鮮・大陸へのトンネル計画を紹介する。 1912(明治45)年には新橋─下関の間に特急列車が運行されるようになった。所要は25時間である。それが1925(大正14)年には線路の改良や経路の短縮などが行なわれ、20時間を切るようになった。下関か...

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鉄道と軍隊(15)─弾丸列車計画と昭和初めの鉄道

弾丸列車計画と海底トンネル 1936(昭和11)年9月、関門海底トンネルは起工式が行なわれた。九州の門司側からだった。トンネルは上下線が別々に2本掘られることになった。その方が安全だし、万一、完成後に事故があっても、戦時に被害があっても復旧が易しいということもあった。最初の一本を掘るにかかる費用は1...

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鉄道と軍隊(16)─弾丸列車計画/機関車と客貨車

機関車の軸の数の話 弾丸列車計画の蒸気、電機機関車はもちろん完全に国産だった。初めての標準軌間に使う機関車である。初めて英国製の小さなタンク機関車を見て、「陸蒸気(おかじょうき)」と驚いたのが1872(明治5)年のことだった。それからわずか半世紀、国産機関車は設計・生産され実用化されていた。 大陸に...

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鉄道と軍隊(17)─南満州鉄道の列車たち

特急「あじあ」 1932(昭和7)年、「五族協和」を理想とする満洲国が造られた。まず、メインの鉄道は大連と新京(長春)の間である。距離は701.4キロメートル。内地では下関と岐阜(700.2キロ)の間に匹敵する。当時、超特急「つばめ」はそこを約12時間で走っていた。 戦後になっても、少し前まで東海道...

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鉄道と軍隊(18)─南満洲鉄道についての雑学

戦前日本の国土 1910(明治43)年の韓国併合により、正式の領土(統治区域)は内地・朝鮮・台湾・澎湖島・樺太に確定する。内地にはその存在が古来の日本領土であり疑うものがないものがある。○小笠原諸島(文久元年に幕府が開拓について各国公使に通知する)○沖縄(明治5年に琉球国王を藩王として領土であること...

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鉄道と軍隊(19)─朝鮮半島の鉄道

戦前日本の国土 (明治43)年の韓国併合により、正式の領土(統治区域)は内地・朝鮮・台湾・澎湖島・樺太に確定する。内地にはその存在が古来の日本領土であり疑うものがないものがある。1910○小笠原諸島(文久元年に幕府が開拓について各国公使に通知する)○沖縄(明治5年に琉球国王を藩王として領土であること...

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鉄道と軍隊(20)─朝鮮の鉄道あれこれ

鮮鉄の急行列車「ひかり」 下関から釜山までの連絡船と接続する急行があった。満洲国の建国があり、内地から朝鮮を経由して満洲を結ぶ、そのために1933(昭和8)年にダイヤ改正が行なわれた。釜山の桟橋から奉天までの間を直通運転する急行列車が「ひかり」と名付けられた。翌年には新京(現・長春)まで直通区間を延...

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鉄道と軍隊(21)─弾丸列車と幻の機関車

機関車の開発 1940(昭和15)年といえば皇紀2600年、神武天皇が位に就かれて2600年という。ゼロ戦がどうして零式艦上戦闘機かというと、この年に制式化されたからだ。2600の末尾をとった。それまでは日本号を使って、明治38年式小銃とか大正11年式軽機関銃などといっていた。それが大正天皇の皇太子...

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鉄道と軍隊(22)─鉄道聯隊

経済制裁と日本 わが国がアメリカへ直接の激しい戦意を燃やし始めたのは、1941(昭和16)年8月のことだと思われる。いまもアメリカが対テロなどで実行する経済制裁である。アメリカは支那から日本の軍事力を引き下げるために、石油輸出禁止令を出したのだ。ルーズベルト大統領は敢然とこれを実行した。石油がなくて...

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鉄道と軍隊(23)─大東亜戦中の鉄道部隊

鉄道部隊の編成組織 鉄道に関する部隊には珍しい編成のものもあった。鉄道橋梁大隊、鉄道工務大隊、鉄道工作隊、鉄道運営隊、その他に停車場司令部などもある。 鉄道工務大隊は破壊された鉄道を修復したり、新線を建設したりした。予備役から召集された古参兵や補充兵出身の素人が多かった。国鉄から召集を受けた人も多か...

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鉄道と軍隊(24)─泰緬鉄道の建設(1)

『戦場にかける橋』というトンデモ映画 1957(昭和32)年に英米合作の大作『戦場にかける橋』が制作された。翌年公開されるとたいへんな騒ぎになった。アカデミー賞を総なめにしたこの映画は主題歌の『クワイ河マーチ(ポギー大佐)』でも有名になる。 舞台は大東亜戦争中のビルマ(現ミャンマー)とタイ王国の国境...

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鉄道と軍隊(25)─泰緬鉄道の開通(2)

泰緬鉄道の開通 1943(昭和18)年10月25日にコンコイタという駅で、鉄道第9聯隊と同5聯隊の奮闘努力の結果である開通式が行なわれた。予定の8月末より2カ月も遅れてはいたが、最初の年末に開通という計画よりも2カ月も早かった。いかにも鉄道聯隊の作業らしく、戦時急造の基準に合わせたスピード工事のおか...

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鉄道と軍隊(26)─昭和戦前期の鉄道

国鉄の旅客運輸の状況から 1929(昭和4)年、アメリカのウォール街の株価の大暴落から始まった世界恐慌。わが国も大正末期からの震災不景気の痛手が癒えないまま、さらに大きな打撃を受けた。 一方では1931(昭和6)年には陸軍が満洲事変を起こし、上海事変などを経て、37(昭和12)年には盧溝橋で北支事変...

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鉄道と軍隊(27)─戦時の鉄道(1)

貨物輸送の増大化 鉄道は興隆した。貨物輸送量は1931(昭和6)年の満洲事変から始まる軍需景気によって貨物輸送などが伸びたからである。そして37(昭和12)年の日華事変勃発、さらにその後の戦火の拡大によって軍需物資、動員人員の輸送などでさらに輸送量は増えていった。昭和7年の貨物輸送量は約6740万ト...

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鉄道と軍隊(28)─戦時の鉄道(2)

「餅は餅屋」鉄道に任せた軍 さまざまなお話がある。戦時の実態のさまざまを回顧する有名鉄道記者の著作から拾ってみよう。青木槐三氏の『国鉄』(1964年・新潮社)からである。これに解説を加えてみたい。 軍事輸送の伸びは先にも書いた。1938(昭和13)年には200万トン、14年190万トン、15年580...

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鉄道と軍隊(29)─戦時下の鉄道(3) 戦時のこぼれ話

職員から出征が相次ぎ女性が進出 戦争が続き、まともな動員計画が立てられなくなり、正規の計画に基づいた「充員召集」や「補充召集」ではなく、手当たり次第に「臨時召集」が乱発された。いわゆる赤紙である。よく『一銭五厘のハガキ一枚で召集された』という俗説があるが、それは明らかに間違い。召集令状は神聖な兵事行...

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鉄道と軍隊(30)─戦時下の鉄道(4)ぼろぼろになった鉄道

本土空襲、そして艦砲射撃 いわゆる本土空襲は1944(昭和19)年6月のB29による北九州地区爆撃に始まった。続いて11月からはサイパンなどのマリアナ基地群からの大規模な攻撃が続き、昭和20年の2月以降は爆撃や焼夷弾攻撃により大都市は次々と壊滅的な打撃を受けた。6月になると中小地方都市にも攻撃がされ...

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鉄道と軍隊(31)―戦時下の鉄道(5)青函・稚泊(ちはく)航路の末路

青函航路の空襲 1945(昭和20)年6月28日、よく晴れた日、津軽海峡一帯を偵察していったアメリカ機がいた。青函航路上空ばかりでなく沿岸の地形や港湾施設もカメラに収めていったらしい。この結果が、およそ半月後である。 7月14日、函館の街は突然の空襲を体験する。生々しいインタビュー記事がある。筆者は...

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鉄道と軍隊(最終回)―敗戦と鉄道

鉄道員の復員 無条件降伏をした陸海軍から次々と鉄道員も復員してきた。召集令状を受けて従軍した者、あるいは鉄道部隊に配属されていた者などなどである。人手不足による職員の採用が戦時中には多かった。若年労働者は兵士として入隊、中堅技術者は軍属として鉄道部隊へ行かされた結果は、内地の鉄道職員の高齢化と女性化...

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著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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