「日本陸軍の兵站戦」 バックナンバー

荒木肇さんの最新刊

脚気と軍隊

森鴎外は無能な軍医だったのか?
日本軍の脚気問題は現代日本の縮図!
知られざる脚気問題の苦難と栄光の歴史が、ここに明らかに!!
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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メールマガジン「軍事情報」連載記事のバックナンバーです。

バックナンバー記事一覧

兵站の定義について

言い換えができなかった兵站という用語 戦後、軍隊ではないとしてスタートした自衛隊、兵や軍という言葉は決して使われなかった。その代わりいろいろな言い換えを考えた。警察予備隊の初めのころ、歩兵は兵という言葉を使ってしまうと軍隊になる。そこで普通科と呼ぼう。砲兵は特科だ。工兵は施設科、憲兵は警務科、騎兵は...

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再び経理学校生徒を募集

日露戦争で明らかになった将校不足 日露戦争では将校が足りなくなった。戦地へ出征した軍人約95万人のうち戦死者と戦傷死者の合計は全軍で6万人あまりにのぼった。その割合はおよそ6.4%である。階級の低い兵卒ほど死ぬことが多いという偏見は捨てたほうがいい。実際に戦う軍隊では上級者ほど危険である。兵卒の死亡...

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輜重兵について

在来馬の大きさの話 輜重(しちょう)の「輜」とは覆いのある、幌のある車のことをいった。輜で重量物を運ぶので輜重と名づけられた。建軍当初は、戦国時代の小荷駄隊の連想もあり、歩兵と騎兵が華々しい戦闘兵科だったから人気がある兵科ではなかった。戦国時代の小荷駄の存在も一般には知られておらず、詳しいことは分か...

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戦う近代日本・日清戦争

兵站勤務令の制定 1889(明治22)年、『野外要務令草案』が作られた。また、91年(明治24)年には、『野外要務令』が制定され、『兵站勤務令草案』も発表された。この兵站勤務令は5つに分かれていた。『戦時輜重兵大隊勤務令』、『弾薬大隊勤務令』、『架橋(がきょう)縦列勤務令』、『輜重監視隊勤務令』と『...

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日露戦争を目指して

陸軍の拡張へ 日清戦争(1894〜95年)で当時の日本円に換算して3億4400万円の賠償金を得た我が国は、次の戦争に備えた。独・仏・ロシアの三国干渉から得た教訓とは世界は強欲であって、力を持つものだけが正義だという残酷なものだった。さらに南下するロシアの勢力は生命線もおびやかすものと考えられた。 賠...

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壮丁教育調査が語る日露戦争:人の動員

壮丁教育調査 戦後になって、あまり知られていないことだが、徴兵検査の行なわれた日の午後には、道府県が行なう「壮丁教育調査」が実施された。国語・算術・公民科の3科目である(昭和時代)。中等学校以上の卒業生は参考とするために、公民科のみを受験したので思い出に語る人が少なかった。高名なある作家の父親などは...

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日露戦争の兵器と装備

完成された連発銃・30年式 兵卒たちが生命を託した小銃。それには2つのタイプがあった。1つは歩兵銃(ライフル)と、もう1つは銃身を切りつめた短い騎兵銃(カービン)である。日本陸軍は日露戦争には30年式歩兵銃と同騎兵銃を主力装備としてのぞんだ。2つの全長と重さはそれぞれ1275ミリ、4050グラムと、...

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日露戦争・小銃、野砲、機関銃の製造

小銃の配当 開戦時に約25万挺あった30年式歩兵銃は、うち20万挺が各野戦師団に配当された。定数は各師団1万5037挺、うち歩兵隊は兵卒用に9600挺である。30年式騎兵銃も約3万挺あり、騎兵隊、輜重兵隊が携行した。しかし、兵器本廠の保有数は歩兵銃5万2000挺、騎兵銃1万2000挺しかなかったので...

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機関銃の製造と用法

水冷式マキシムと空冷式ホチキス『日露戦争当時、日本陸軍は機関銃を知らなかった』という俗説が長く信じられてきた。ところがそれはまったくの誤りである。大正時代には日本陸軍の白兵主義が大いに喧伝(けんでん)され、昭和の初めにも国民性の優秀さとからめて主張された。質量ともに劣った装備で勝利を得たのは精神力と...

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技術研究・教育系統の官衙と人

技術は砲兵と工兵の担任だった 陸軍が創設された時代には「技術」という言葉は、わざわざ使われなかった。では技術導入、とりもなおさず兵器や機器の審査、調達などはどうしていたのだろうか? 現在なら、防衛装備品は装備調達本部などがあり、そこで各種の兵器や装備品の審査などを行なっている。 明治の初めには、陸軍...

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補給を支えた技術者たち

工長たち 造兵技術に従った技術下士はそれぞれの専門を持っていた。いくら西欧から機械を輸入し、知識を習得した将校がいても、それだけで戦場で使える装備を生産することは不可能だった。しかも生産現場では管理業務を行ない、部隊においては簡単な修理などを企画・実行できる技能者の養成は簡単にはできはしなかった。そ...

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著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊』(並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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